今日も今日とて何書くこともあるわけでもなく

 明日から急な出張で本当に行きたくない気分で、なんでどいつもこいつも明日来いとか平気で言えるんですかね。なんなのバカなの死ぬのと棒読みしたくなる訳です。今更日本のクソ労働環境を嘆いても仕方がないので、この出張を盾に色んなものをブッ千切って全部バカな客が悪いということにしようと思います。

 さて、先日海外出張に行ったときに、ずっと通路側の席だったのですが、寝てるときに限って奥の方の席に座ってる白人の女性に叩き起こされて、トイレに行くからどけとか言われる訳ですが、あいつら本当にもっと申し訳なさを前面に押し出してほしいと思ったり思わなかったりする。それはそれとして、その機中で君の名はとシンゴジラを見て、両方ともここ1年間の邦画の中で出色の出来と言われている訳ですが、君の名は特に良くて、これはもうこれまでの人生の中でさほど沢山は映画は見ていないけれど、一番いい映画だったんじゃないか位の勢いでいい映画でした。ただ、その映画の良さを語る言葉がまだなく、時間もないので、また別のときに。

今更SalyuのAndroid & Human Beingを聞いている

 Salyuを初めて聞いたのは10年くらい前のことだったと思う。そう思うとかれこれ10年以上も音楽でメシを食ってるのだから大したものだと思う。

 ともあれあれは10年くらい前に、大学院生だったときにとある大学の女性の先輩と付き合うんだか付き合わないんだか物凄く曖昧な関係のままだらだらと2年程過ごしていたときのことだった。昔風に言うとすると友達以上恋人未満とかいうやつになるだろうし、今でもこの手の話は男女の間に友情は成立するかみたいな命題として生き残っているけれど、そのときは自分なりに真剣だった。真剣に付き合うか付き合わないか、付き合うとして、告白するべきかとか悩んでいた。

 結婚して子供もいる今となれば児戯に等しいもので、今ではもう何でそんなことで悩む必要があったのかよく分からない。

 で、そのときに、その頃にその女性がSalyuの歌を歌っていて、勧められた。あからさまに薦められた訳ではなくて、仄めかされたのだと思う。昔から人の言うことは字面通りにしか解釈できない人間なのだけれど、きっとそういうことなのだと思う。そういう性質な訳だから何だかよく分からないまま2年ほど戸惑っていたのだと思う。

 結局のところはその女性といると妙に身内に事故が多かったりして、なんかよくないんじゃないかと思っているうちにその女性は別の相手を探していつの間にか結婚していたし、私は私でそうこうしているうちに妻と出会って、それからいく年かして結婚した。その女性とはその後で一回だけ会って、そのときに自分が結婚したことをいうと素っ気なくふーんと言われ、別の人が妻がそれなりにできた妻であるというようなことを言うと、へーと言われた。相変わらず人の言うことを額面通りにしか受け取れないので、特に興味はもたれなかったのだと思っている。ちなみにそう言う発言をした人は私とその女性が付き合いかけてたことは知っていて、何でそんな話をするんだろう、まあ過ぎたことだからいいかと思ってた。

 そういうようなことがあって、それからSalyuを聞き出して、結局今でも聞いている。たまにライブに行くと圧倒的な女性比率にビビるところで、普段はプログレとテクノを聴いていた境遇からするとそのライブの様子は圧巻とかいいようがないくらい拗らせがちな女性であふれていた。ライブハウスなんかでは痴漢に間違われないのに必死である。

 そんなことはどうでもよくて、Salyuというのは歌謡曲とかポップスとかの歌手にありがちな歌に思いを込め過ぎたり、解釈が凝っていたりとかいった外連味のない素直に歌う人でこの一点を以って日本のポップスの中の白眉と言える。歌の上手い人はそれはそれは沢山いるけれど、そういう素直な歌い方のできる人というのはそれほどいないと思う。それはよく引き合いに出される歌声があるからこそなせる業なのか。

 聴き始めたのは彗星からで、その後発表されるアルバムではそれぞれに代表的と思われる楽曲がある。例えばMAIDEN VOYAGEはLIBERTYのためにあるような気がするアルバムだし、PHOTOGENICには震災からの再生の意味の込められた悲しみを超える色がある。

 それに対して今聞いているというか、最近買ったAndorid & Human B

 

Android & Human Being 初回盤 (2CD)

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eingは割と全部好きな感じで、また新しいフェーズに入ったのを感じる。

脳が壊れたを読んだ

 父方の祖父は脳溢血で亡くなって、母方の祖父は多分くも膜下出血で若いときに亡くなって、伯父も脳出血で亡くなって、上の伯父も脳梗塞で若いときに倒れた。だから自分も人生の多分どこかでそんなような脳に障害が出るような症状が出るのだと思ってる。

 

 鈴木大介の「脳が壊れた」を読んだ。

 この人の原作の漫画が好きで、よく読んでいたけど、ある時期休んでたのはこれが原因だったのか。脳梗塞になるとこういう風になるというのがよくわかる。脳梗塞の後遺症で障害が出て、その後の人生が変わるわけだけれど、そこでそれまでの人生の死と、その後の人生の再生が書かれていて、障害を受け入れるというのはそういうことかと思う。

 障害のある人生というのが元々なかった人からはこう見えるというのはみにつまされる話でもあるし、自分がそういう立場になるときもある。人間誰しも何かしらの発達に関する障害があるものだと思う。

 途中から話は夫婦の話になる。ように見える。

 人間誰かに頼らないと生きていけないもので、ありふれたことだけれどこれを理解するのに私は26年かかった。では頼れる人がいない人はどうなるのかというと、よく分からない。妻がいなかったら、多分今生きていない。あるいは生きているかもしれないけれど、きちんとした人間としては生きていないのではないかと思う。

 

 最後の筆者の奥さんの話というのがとても参考になる話で、脳梗塞になると他人からはこう見えるという話は、実はあまり聞かない。母は祖父が倒れたときに大きなため息をついて昼寝してしまったと言っていたけれど、それも母が子供のときの話である。

 臨むらくは自分が倒れたときに妻がうろたえないように読んでおいてもらおうと思う。

 

脳が壊れた (新潮新書)

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車谷長吉と駿台予備校の思い出

 十数年ほど前、浪人生をしていた。

 今よりも以前の方が18歳年齢が多くて、浪人というのは割とありふれたものだったと思う。そんなこんなで予備校に通って不貞腐れた浪人生をしていた。

 予備校は駿台に行っていた。

 なんで駿台かって、父も駿台に行ってたからとかそんな理由だったと思う。

 ともあれ柏とか松戸とかあの辺の新興住宅地のソリの合わない奴らと離れて、地元の近い学生が多かった駿台での生活はそれはとても気楽なものだった。下町特有の気取らなさと、野暮ったさと、下町だけで人生が完結するだろうと何となく思ってる幸せな孤立主義的な雰囲気が良かった。

 その中で面白かったことといえば、理系のクラスに通っていたのだけれど、野島師の日本史と長内師の英語の長文読解だった。ちなみに、師というのは駿台での講師を書面であらわすときの敬称である。長内師は厳しいおばさんだったけれど、授業の内容が面白く。文章も必ずしも長いわけではないけれど、含蓄のあるchoiceというものを使っていた。

 ちなみに長内師の師匠が奥井師だったのだけれど、個人的には長内師の授業が好きだった。なぜ好きかと言われると、どうやら豊富な知識と教養を持ってるだろうところから繰り出される直感的で、直接的な解説が何かを試されているようで好奇心を刺激されたものだった。

 その授業の中で、あるとき文学の話になって、その年に車谷長吉赤目四十八滝心中未遂で直木賞を取った年だったのだけれど、そのときにそれを紹介していた。曰く、文学とは例えばHonore de Balzacゴリオ爺さんであるとか、日本文学であれば最近直木賞を取った車谷長吉赤目四十八滝心中未遂である。私は時代におもねるような二人の村上さんはあまり好きではないとのことだった。

 そのときは村上春樹は持って回ったような言い方をするからあまり好きではないなあと思っていて、車谷長吉は知らなかったし、バルザックを読む人生などは想像もしていなかった。

 

 そこから10年ほど経って、あるときふと車谷長吉のことを思い出して、赤目四十八滝心中未遂を買って、読んだ。これこそが正に文学であり、長内師の言っていたことが丁度わかる時期に巡り合った。多分もう少し若い頃だったらこの娯楽性を評価できなかったのだろうと思う。

 時間が経ってから後こんな風にして自分の中に残る浪人時代の先生の言葉が残ってるとは思わず、私の文学の師である妻にこのことを言ったところ、とてもいい先生に出会ったし、そういう本との出会い方は言いものだと言われた。こうやって文学の話をできる妻と結婚できて本当に良かったと思う。

 

赤目四十八瀧心中未遂

赤目四十八瀧心中未遂

 

 

Mac OS X Sierra

 何の気なしにMacBookProのAppStoreのアプリの更新をポチポチ押していたらうっかりOSのアップデートをしてしまい、特に望んでないのにOSがSierraになってしまった。

 もともとEl Capitaneになった時から日本語入力に予測変換機能がついたことで死ぬほど鬱陶しかったのに、更に何故か頻繁にシャットダウンするようになって、もうMac使うのやめようかなと思ってたのが更に固い決意に変わった。PCをぶち壊しそうになったければ、SMCのリセットをしたら何とか耐えられるレベルにまで落ち着いた。でもまたHDDへの読み書きを中々やめない。ので腹がたつ。あとカナ変換が絶望的なまでの時間遅れが出てきて、本当に殺意が芽生える。

 次買い換えるときは少なくともMacはないな。

 まあiTunesに入れてた音楽が問題ではあるけど、最近はWindowsでもiTunes使えるしな。それとも何かのLinuxにしようかな。CentOSとかいいのかもしれない。

 別にね、PCでSiriなんて使えなくていいし、iCloudとの連携なんて電話でしてくれればいいんですよ。ただ単に使い勝手のいいUnix環境が欲しかっただけなので、勝手に予測変換したり、Siriを勝手に入れたり、勝手にAppStore入れたりするようなゴミOSは知りません。そんなのでかくて邪魔なだけのiPhoneとかiPadじゃないか。いつからAppleはこういうくだらんものを作るようになったんだろうか。さようならMac。と言いながらも先立つ物がないので次のPCを中々買えないので、このまましばらく行くんでしょうがね。

アメリカ大統領選と日本の再軍備

 トランプが大統領になってTrump triumphとか言ったりするかもしれないわけですが、彼が選挙戦の中で言ってたことの中で一番困るのが在日米軍の撤退だと思う。凡そ70年前に当時の日本の沢山の軍人の血によって贖うことで第二次世界大戦後の世界の軍拡競争を全てアメリカにやらせて日本はそこから自由な立場でいることができたのに、トランプが大統領になって本当に在日米軍がいなくなると全部台無しだ。

 戦争に負けた屈辱と、そのときに亡くなった日本の軍人の血で冷戦下では日本の存亡の危機にはアメリカ国民の税金から割り当てられたアメリカの軍事予算で購入した兵器を使って、アメリカの若者を日本の若者の代わりに前線に立たせるという建前を維持し続けられたのに、これだと本当に日本が自前で武器を買って、自衛隊が出て行くような体制にしていかないと日本も一時のフィリピンのように諸外国から領海、領土を侵食される憂き目に遭ってしまう。

 果たして日本でこれだけ景気が悪い中で軍事予算を増やすことができるのか。その前に頭のおかしい左翼が沢山いる中でそう言った議論をすることができるのか。

 もしこれでアメリカが中国とかロシアとかとくっつき始めたりするとまた第二次世界大戦前夜のように日本にとって最悪の状況に陥ってしまう。地政学的に中国とかロシアのような専制的大陸国家と、アメリカのような自由主義国家が同盟を組むことはなくて、そういうときは第二次世界大戦のときのようにアメリカが一方的にソ連に使われるだけの関係になる。

大学の教授になる方法

 目的と手段をはき違えるととか、そんな話は別にして、大学の教授になる方法。

 学生さんからは、大学院に行って、学位を取って、ポスドクを数年したり、バイトして非常勤講師をして、期限付きの助教になって、准教授になって、教授になってとかが思いつく方法だろうか。それはそれで一つの手です。

  1. 大学卒業 22才 年収0円
  2. 大学院修士課程卒業 24才 年収0円
  3. 大学院博士課程卒業 28才 年収0円 
  4. 学位を取ってすぐに任期付きのポスドク第1ラウンド開始、終了時 31才 年収300〜500万
  5. 引き続きポスドク第2ラウンド。終了時 34才 年収300〜500万
  6. やっと期限付きの助教第1ラウンドになる。終了時37才 この辺の年収はよくわからないけど、400〜600万くらいでしょうか?
  7. 期限付き助教第2ラウンド。終了時40才 年収600万じゃきついですね。もっともらっててほしいもの。
  8. この辺でテニュアに。助教か准教授か。准教授でやっと年収1000万に届くかでしょうか。上の教授が退官しなとなかなか教授になれない。
  9. 50くらいで教授でしょうか。この辺になると年収1000万を超えるのかな。超えててほしい。

そういうことで、つつがなくというか、かなり研究者人生うまく渡って早くて40代中盤で教授になれるかどうかでしょうか。民間企業で言えば課長か部長くらいの年収でしょうか。しかしそれになるまでの期間が果てしなく給料が低くてやってられないです。しかも3年に一回転職活動があります。

 大学にいたときはこんなもんかと思ってましたが、まず給料が安すぎて、今となっては大学の助教にしてあげると言われたところで、給料が下がるならなりたくない。ここまでの知識を身につけるのにはそれなりの時間がかかったわけで、28才まで年収0円で過ごしてきた世間知らずには学振の給料の月給40万円は大きいのでしょうが、そんなもん所詮年収500万(期限付き)です。一部上場企業の正社員ならそんな身分の保障されていない仕事はしたくない。

 その上、毎度の契約更改でいつも契約が切れた行くところがないというリスクがあります。年々パイは小さくなります。でも年々歳をとって、無理も効かなくなります。その上、自分で研究費を取ってこなくてはなりません。もはや文科省から出てくる運営交付金なぞあてにはできず、科研なり、その他省庁の研究費などを引っ張ってこなければなりません。つまり、研究者が自分で営業戦略を立てて、どこかから数年掛かりのプロジェクトを取ってこないといけません。しかもコネがなければどういうテーマが客が求めているものか知ることもできません。無理ゲーです。っていうか、研究者に営業させるな。

 あまつさえ仕事が少ない上に、自分の仕事が求められてやっているものかどうかわからない。別に求められていないものでもいいけど、そんな外部の機関とやらに評価されなければできない程度の研究テーマにしか金が付きません。

 

 じゃあどうするかって?

 2つやり方があるけど、やり方は似てる。

 私は理系の人間なので、暗黙のうちに理系の作法が思いつくので、理系のケースを紹介しようと思います。

 1つ目は、それぞれの業界の御三家とか言われる会社の研究開発部門に入ること。設計でもいいかもしれないけど、研究開発部門がいいです。研究開発部門は入るのが難しいと思われるかもしれないけど、割と希望が通ることが多いみたい。

 せめて修士くらいは取っておいてもいいでしょう。

  1. 大学卒業 22才 年収0円
  2. 大学院修士課程卒業 24才 年収0円
  3. 主任研究員とかなる 35才 年収600〜700万
  4. 係長とか、偉い研究員とかなってどっかの大学で社会人博士を取らせてもらう。太っ腹な会社だと海外留学でもさせてくれる。どっかの業界団体とか、財団法人の研究員とか、何とか委員になってその業界のインサイダーとがっぷりパイプを持っておく。 40才 年収1000万
  5. どこかの大学のポストが空いたので、業界のトレンドのテーマを持って大学教員になる。45才 年収1000万くらい?

 もう一つは、上と同じですが、今度は経産省とか、国交省とかの理系っぽい役所に国1の試験を受かって入庁することです。国1の試験に受かるのが難しいって?1学年で大学の博士課程を卒業して大学の教授になる人の数と、国1の採用数どっちがいいか調べてみたらいいと思います。そして、入庁後は色んなところに行きますが、その省庁傘下の独法での業務に携わることです。ポスドクで各独法で研究する人もいますが、そんな一般入試で入っても無駄な競争をさせられたり、試験でふるいにかけられたりするだけです。役所についてはどういうキャリアパスがあるのか詳しくないですが、会社と同じくらいかと思います。その中で技官的思考が高い人は大学の教員になってる人がいくらかいます。あるいは天下る代わりに大学教員になる人もいるみたいですね。

 これらケースは何がいいかというと、自分たちで研究のニーズを掴んでいて、それを解決するために大学教員になるというやり方であることで、日本が大学に対してニーズに対する解を出しなさいというスタンスで臨んでいる限りはこのやり方が圧倒的に有利です。いわば、大学に対して発注側になって、それで自分で受注して仕事をするスタイル。

 これがいいか悪いかというと、いいことでもない気がして、このコースで東大の生研の教授になったおっさんが、経験的に色んな保存則の類似性に最近気がつきましたとか言ってて、このバカNoetherの定理も知らないで東大の生研の教授だかなんだかしてんのかよ、マジでチャレンジする会社のOBは頭の中もチャレンジングだなって思いました。つまり、このやり方のデメリットはバカが東大の教授になってしまうことです。俺の納めた税金返せ馬鹿野郎。