レールに沿った人生とは
そもそもこの人程度の偏差値と根性じゃレールに乗れないから別に大学を卒業してもしなくても同じだから大学辞めても辞めなくても同じ。精々個人事業主の開業届でも出して馬車馬のように働いてくれ。
なぜかくも腹がたって、反応するのか。こんなの書くだけ時間の無駄なのはわかってるんだけど。
- 教育学部は俺の敵だ。
- バカは嫌いだ。
- 自分がバカであることを気付かずにバカであることを世界に対して表明しているようなのを見るとついついみんなと歩調を合わせてバカと罵りたくなる。
- 大学の勉強が難しすぎて興味が持てなかったから破壊活動と乱行パーティーに明け暮れたのが今の老害共で、勉強がわからないことを自分の頭が足りないことに帰せず、興味が持てないとか言ってるから本当にこいつ団塊の世代並みに卑怯な奴だなと思って虫酸が走る。
この手のバカは数年に一度、彗星のように現れてインターネッツの一部を騒がせていくのだけど、俺はこの手のバカが本当に嫌いなので、全員まとめて不幸な最期を迎えてくれればいいのにと思っていますので、頑張ってください。
子供に伝えること
いつだかのプロフェッショナルに野村萬斎が出てた。
野村萬斎は狂言の人なので、生まれたときから既に狂言をやることが決まっていた人で、その子供もまた生まれたときから狂言をやることが決まっている。狂言をやらないといけないとか、強制してやらせるとか、そういう次元じゃなくて、狂言をやることになっている。
自分は子供にそういうことは一切いうつもりはなかったので、そういう人たちもいることに衝撃を受けた。例えば何故か自分は理系に進んだけど、それは別に数学とか物理が好きだったわけでは全くなくて、父と母からそれとない強制を受けてこうなった。だから、そういうことを子供にさせるつもりはなくて、好きにしたらいいと思ってた。面倒臭いし。
しかし、そういうのを超越して、生まれながらにして何かをやることになっている人生がそこにあって、何故そんなことをするのか理解できいなかった。でも、少しして、同時に自分がなぜ子供に子供の思うがままにさせようと思ったのかも理解できなくなった。なぜ。なぜ、子供に自分の仕事を継がせようとするのか、なぜ、子供に自分の仕事を継がせないとするのか。ちなみに経済的合理性から考えると子供も親と同じことをやった方が楽そうなのは一目瞭然なのだろうけど、そういう理屈をこねるのは全然面白くないのでやらない。
では、何故、自分が数学をやろうとしていたのか。
自分ではよくわからない。
祖父がやっていたから。苦手なものを克服したかったから。父親が得意だったから。しかし父親のレベルは遥かに超えてしまった。
何故。
何故、子供に数学をやらせようと思わないのか。
数学はやってもモテないし、儲からないから。数学は難しいから、教えるのが面倒臭いから。数学ができると数学が苦手な教師に嫌われるから。
では、数学はやらそうとしなくても、何故子供が泣いたときに男だから泣くなというのか。自分が言われて理不尽だと感じたことをするのか。今時泣きたいときは泣けばいいとも思うけど、そうはする気には到底なれない。
何故。
男は強くなければならないから泣いてはいけないと言われたけど、何故強くなければいけないのか。将来結婚して妻子を守るため。では何故男が妻子を守らなければいけないのか、そもそも何故結婚して子供をもうけないといけないのか。何故。何故強くあるためには泣いてはいけないのか。泣くことと強さは何かの因果関係があるのか。
何故。
気絶
最近は色々と忙しくて、寝そうになるというか、気絶しそうになる。幸い車の運転は眠くならない。
繁忙
今日も帰ろうと思ってから色んな人に呼び止められて帰るのが遅くなった。昨日もそうだった。明日もそうなるのだろうか。
いつか平日の夕食を家族揃って食べてみたいもんだ。
もうすぐ祖父が亡くなった年になる。
同じ頃にくも膜下出血で倒れたけれど、それが自分の中のある意味のメルクマールになるのだと思う。そこから先は祖父が経験しなかった人生を生きることになる。まあ僕は祖父ほど立派なことはしていないけれど。
昔はその位の頃にはもう生きていなくてもいいと思ってたけど、子供がいると中々そうもいかず、子供のいる暮らしはある意味で徹底的に現実主義者になって、ロマンチストである余地を与えてくれない。これはこれで余計なことを考えないで済むのでいいのかもしれない。
プール
書くことが本当にない。
今日は子供達とプールに行った。
長男は相変わらず元気だった。次男はだんだんプールが楽しくなってきたみたいで、拙いながらも滑り台に登ったりしてた。1歳とちょっとで滑り台に登るのも十分凄いと思うけど。
もうすぐ夏が終わる。
今年の冬は長男と雪を見に行こうと思う。
博打で勝つ方法
経済学はよくわからないけれど、あれの何があれかっていうと、それは恐らく市場の振る舞いはランダムであるという仮定なのだと思う。人間が経済活動をするのは儲けたいというモチベーションがあるからであって、みんな期待値が正の値になるように色々と考えて経済活動をしていて、それを母数が多いからランダムとすることができるのかというのが疑問がとてもある。
そういう仮定をする場合には自ずと市場の振る舞いは法物型の方程式で決まる訳で、それはブラックショールズ方程式で書くことができるところもあるわなと思ったりする。それは債券市場の話なのだから、別の市場では適用できないということなのだろうか。
そもそもの話として、需要と供給の話をするけど、あれも供給曲線は右肩下がりですといわれて、なんとなく納得できるけれど、じゃあ供給曲線を特徴付けるパラメータは何なのか、何かしらの不変量があるのか、ないのか、よくわからない。
学部の授業でする定性的な話なのならあれでいいのだろうけれど。