STAP細胞と日本のアカデミズム

 一時中の人に近い立場にあった訳ですが、そのときに、日本の研究機関で生きていくには、結局はコネのある女性が最強ってことです。はい。

はてブがSTAP細胞のデマ拡散 シノドスの記事も

 特定研開法人ですかね。ああいうのに指定されるような研究所では女性を優遇して取りたいみたいな意向が丸見えですし、まあそれはそれは私のようなしがない男性は萎えるもんです。就職活動のときに就職した後に結婚して子育てするときの相談までしてくれるとか、すっげえよなあ。男に生まれて損した。

 とあるところに居たときも理系の博士課程の女性に、研究職なら今なら優遇してくれるから何とか研究所みたいな所にアプライするのがいいとかいう会話がそこかしこで聞こえましてね、はいはい面白いっすねって思ったものです。まあ今となっては私もうだつの上がらないサラリーマンをしてるのでどーでもいーんですがね。

 あと、日本の研究機関って建前上は公募ということにして人集めてるけど、ごにょごにょみたいのがあって、公募とかいってるのマジ止めたらどうなんですかね。そりゃコネで人取るのが確実だし、やりやすいのもわかるけどなあ。

 まあ、理研産総研も良い研究所ですよね。よく知らないけど。

 それはともかくとして、理研みたいな所だと嘘でもついて実績上げないとやってられんみたいのはあるわな。まあせめてアカデミックの中の人達も競争という名の消耗戦を精々して頂いたら良いんじゃないでしょうか。そういえば最近は日本からの論文投稿数がブッ千切りで下がってるみたいですね。世界的にはインフレしてるのに。いや、マジでどうなるんですかね。景気悪い話しか聞かないけれど。手足を縛って階段は登れないですよねー。

市場の揺らぎと揺動散逸定理

 東工大から市場の揺らぎが、揺動項と散逸項によって支配されているらしいというペーパーが出たらしいです。確かに今の所の仮定は単純な確率過程に従う確率微分方程式を解いていた訳で、これで市場の揺らぎが盛り込まれた計算ができるのだろうなあ。

金融市場のゆらぎのメカニズムを物理学で解明 | 東工大ニュース | 東京工業大学

論文の出た先はPhysical Review Lettersらしいです。中身はまだみてないです。公開されているので、見られるっぽいです。

特定秘密保護法案と日本の国防のあり方

スパイ天国

 特定秘密保護法というのが採決されたようですが、福田元首相が日本の機密情報は漏れまくるといっています。

本文です

機密、かくも漏れるものか…福田元首相が経験談

福田氏は自らの経験を引き合いに「私も官房長官をした時以来、日本の機密情報はかくも漏れるものかと身をもって体験してきた」と立法の必要性を強調した上で、「そういう面ではとてもいい法律だが、これから相当運用を気をつけないといけない」と指摘した。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131207-OYT1T01359.htm 

 総理大臣だった方の発言なので、まあ割とそうだったのでしょう。これって要するにスパイ天国だったということな訳です。昔から言われているけれど、このポジションからだと中々味わい深いものがあります。

秘密保持協定と秘密の保持の仕方

 一方で、会社同士の付き合いで、秘密で事を進めたいときには、NDA(Non-disclosure agreement、秘密保持協定)を結ぶことが多々あります。というか、日本国内であれば、これは秘密でで終わることも、欧米の会社とではNDAを結ばないと具体的なディスカッションをしないとか、割とある。というか、会社同士でも秘密にしたいことがあるのに況や国同士の付き合いでそんなことがない訳がない訳です。

 そういったときに、NDAを結んだときに、果たして相手側が秘密を本当に守ってくれるというのをどのように保証するのかが問題になります。上記の福田元首相の発言からもわかるように、日本との付き合いではこれ秘密でと言った所で、漏れるような体制だった訳です。

秘密の共有と日米同盟

 そのような相手と秘密情報を共有できるか、と言われれば、それは無理な話です。秘密と言ってもどこからか秘密が漏れるとなると、秘密情報は日本には教えられないとなります。そういう背景があった上での特定秘密保護法な訳です。

 では何を対象にするかというと、国民の知る権利を侵害してでも守るべきことということで、戦争関係と、銭金の関係なのではないかなあと勝手に想像しています。では誰と共有するつもりかというと、誰とでもいい訳ですが、主に嘗て西側と言われていた国々とではないかということは容易に想像がつきます。

 では、何故この期に及んでこんな法律が出来たというと、それは日本と同盟諸国が共有しなければならない秘密が出てくる可能性があるからな訳です。どのような秘密化というと、一番ホットなのは対中関係と、日米同盟の再構築と言った所ではないでしょうか。どちらがくるか、両方来るのかはわかりませんが、いずれ日本(と同盟国)と中国の間で何かがあるか、日本の再軍備が行われ、米軍はグアムまで前線を下げるか、或は、フィリピンまで駒を進めるかといった所ではないかと思います。 

子供と日本語

 子供はまだ言葉を覚えていない。最近言葉らしいものを発するようになったので、もしかしたらもう単語は少しは分ってるのかもしれない。

 最近、仕事では日本語と英語を半分半分で使っている。

 将来子供が大きくなったときに果たして日本のどれだけの人が日本語を使ってるのかとふと思う。もしかしたらそれなりの社会的なステージに居る人達は仕事では殆ど英語しか使わないのではないかとも思う。

 そう思ったときに果たしてこのまま子供を日本語を喋る日本人として育ててしまっていいのかと思う。英語を覚えていた方がどこでも職にありつけるようになるのかもしれない。

 そう思う一方で、自分が日本語を喋る日本人であり、更に、生まれた土地の方言はほぼ滅ぼうとしているのを思い起こして、本当にそれでいいのかとも思う。日本人で日本語で育って、今も日本語で暮らしているので、当然日本語は美しいと思うけれど、美しいのと、それをそのまま使って仕事をしていけるというのはまた別の話であり、また英語には英語の美しさがある。

 その上最近は英語で日常生活、日常会話をすることも特に何の苦もない。別にこのまま生涯日本語が通じない土地で英語を使って暮らしていくのも不可能ではない。

 だから、そういうときに子供をどうやって育てていくか、悩みが尽きない。

安倍首相と東京-ロンドン弾丸列車計画

 その昔、戦前の頃でしょうか、大阪からロンドンまでの列車の切符なんていうものがあったらしいです。大阪から下関まで行って、そこから船で釜山へ行って、そこからシベリア鉄道なりを使って16日掛けてフランスのカレーだかノルマンディまでいって、船でイギリスに渡ってロンドンまでいくルートがあったらしいです。

 翻って、最近はモンゴルと日本の関係が良好であるというのが取りざたされていたりしますが、安倍首相が再びその計画を持ち出したんだそうな。

 この場合ネックになるのは、日本海を渡るのと、ドーバー海峡を渡すことな訳ですが、ドーバー海峡はもう既にユーロスターで渡れる訳で、じゃあ下関と釜山はとなる訳ですが、ここで日韓トンネルというのがありまして、麻生副首相とか、その辺の某宗教団体と関係が深い方々が議員連合として参加してたりします。

 中々この計画も面白いものですが、どうなんでしょうか。政治的にも鉄道的にも。

 そういえば、青函トンネルが出来て、それまで北海道内でしか流行ってなかったエキノコッカスが東北地方北部でも見られるようになったとかいうのがあって、何でかって、どうやら北海道の狐が青函トンネルを使って本州まで来たからじゃないかとかいわれてまして、日韓トンネル作るとしてそういうことも起こるんでしょうか。

 まあ個人的には日韓トンネルは勘弁してもらいたいもんですが。

安倍首相がトルコで語った「夢」

「さあ、次は東京発イスタンブール、そしてイスタンブールからロンドンにつながる新幹線が走る夢を一緒に見ようではありませんか!!」

 なんとアジア・欧州横断鉄道構想をぶち上げたのだ。しかも日本の優れた技術の象徴といえる新幹線を走らせるという。こんな壮大な「夢」に対し、聴衆からは大きな拍手と歓喜の口笛が起こった。

 実はこれ、安倍首相が初めて口にした夢物語ではない。戦前の日本も一時、同じような計画を構想していた。

 少し想像を働かせてみたい。東京とロンドンの距離は直線にして約9500キロメートルある。鉄道は当然地上をうねりながら走るから、少なくとも倍相当の距離になるに違いない。新幹線の時速を270~300キロメートルとして、走りっぱなしでも丸3日間はかかるから、「寝台新幹線」が必要になるだろう。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131103/plc13110318000003-n1.htm 

 

戦争の記憶の消失と本当の意味での戦後の終焉

 ひめゆり部隊に所属していた人が老齢になり、体力的に辛いので、今後戦争についての講演を継続できないという記事がありました。

沖縄戦で負傷した兵士の看護などに動員され多くの犠牲者を出した「ひめゆり学徒隊」の元学徒たちが、各地へ出向いて戦争体験を語る「館外講話」と呼ばれる活動が、元学徒の高齢化から終了することになり、沖縄県糸満市で最後の活動が行われました。

ひめゆり学徒隊の元学徒たちは、過酷な体験を次の世代に伝えようと主に修学旅行生を対象に沖縄県内の各地に出向いて館外講話を行ってきましたが、高齢になり負担が大きいとして今月で活動を終えることになりました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130928/k10014888281000.html

 もう戦後70年以上を経過していて、その頃に現役だった人達はもう80歳を越える訳です。戦争は悲惨だとかいった所で、それを伝える人がいないのではもうその思いは社会に対して強力なメッセージを訴えることが出来なくなるのかもしれません。

 例えば戦争はひさんだといった話を戦争を経験した人が次の世代に口伝で伝えたとします。そして講演したとします。しかしそれはもはや「戦争中の悲惨な経験についての講演」ではなくて、「戦争中の悲惨な物語の講演」になってしまいます。

 いずれこうして世間から戦争の記憶が失われていくのかもしれません。思えば日清日露戦争の頃の経験の講演というのは今現在では寡聞にして聞きません。同じように、沖縄戦の悲惨な経験、とか、原爆投下の悲惨な経験とか、は口伝でしか伝わらないようになり、いずれ碑文のみが外部記憶装置として後世に残されることになるのではないでしょうか。

 このような平和活動については是非は問わないのですが、最早戦後ではないといわれたのが戦後20年くらいで、安倍首相が戦後レジームからの脱却とぶち挙げたのが戦後60年くらい。戦後レジームどころか、戦争の記憶すらなくなってしまうのではないでしょうか。それがいいか悪いかは別にして。

 そういえば、先日会社のミーティングで、総務のオジさんが、山本五十六の「やってみて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」というのを言ってたのですが、最近入社したような若手は山本五十六を知らないのが多く、知っていても陸軍の対称だったのか、海軍の大将だったのかしらないというのもいました。最近は日本がアメリカと戦争したことを知らない人もいるみたいですから案外そういうものなのかもしれません。この手の話は現場の課長と出張に行ったときにも話をしました。

 確かに戦争は悲惨で、よくないことなのですが、その記憶が薄れるのは致し方ない所もあるかとは思います。我々は親からそのことを言い聞かされているので、それを若い人達に伝承する義務があるのかな共思います。でもそれが行き過ぎても良くないし、難しい所です。

 ごく個人的な思いとしては、世間では戦争は悪い戦争は悪いと言われていますが、曾祖父が職業軍人で、祖父も軍人で、祖母は子供時代を大陸で過ごしたという事情があり、それを懐かしむ様子を聞くにつけ、僕の中では戦争はいい悪いは別の感情があるのもまた事実です。

 戦争が悪いというのは自分の曾祖父と祖父を否定することであり、子供の頃の社会の時間は悩ましい思いをしたのもいい思い出です。

 そしてシベリアに抑留された祖父は僕が生まれる前から既にこの世におらず、祖母もそろそろ老境に差し掛かっています。これまでの人生に祖父の影響が少なからずあったことから彼がどのような人生を送ってきたのかは興味があるのですが、ずっと前になくなってしまったこと、母の旧軍についてのついての知識が出鱈目なこと、祖母が余り語らないことからよくわかっていません。いずれ聞かなければいけない日が来るとは思いつつ。

 ここで僕が祖父の話を聞いておかなければ僕の一族の中での戦争の記憶が消失してしまい、僕の子供にそれを託せなくなってしまいます。託す必要があるかは別として。ただ、そういう時代に生きて、そういう生き方をした、せざるをえなかった早死にのオジさんがいたことだけはせめて僕の子供には伝えておきたいと思うのです。

再生と生まれ変わり

 20歳から25歳くらいまで腐った人生を送っていた。今考えれば多寡が5年間な訳だけれど、あの頃は仕事やら、付き合う相手やらが決定しつつある人生の中で一番重要そうな5年間をドブに捨てていくのをただただ眺めているしかなくて、たいそう後悔し、何も術が思いつかず、忸怩たる思いだった。

 僕の人生はそのすぐ後に今は僕の妻になっている女性と出会ってから再生した。と思っている。

 彼女がいたおかげで人生が好転して、そこそこの仕事にも就けたし、駄目な稼業から足を洗うことが出来た。彼女は僕にとって青い鳥だった。

 人生の中で一番しんどい時期を共にしてくれた女性と結婚しない手はない訳で、そのまま結婚した。

 そして子供ができて僕は僕の子供の父親として生まれ変わった。僕の父親の子供だった僕は、僕の子供が生まれた時点で死んだ。

 何の変哲もない、そこらのおっさんたる僕ですら、こんなような再生、ある意味での死と生まれ変わりを経験するらしいことが分った。今までは親の気持ちがわからなかったけれど、なんとなく親の気持ちがわかった。同時に子供の気持ちがわからなくなった。もう今後僕は親としての視線でしか世界を見渡すことが出来なくなる。

 

 妻も恐らくそうで、というよりも、恐らく世界の人間のうち、結婚なり、子供ができるなりの経験をしている人はみんなこの手の経験をしているのだと思う。意識するしないは別として。

 結婚、子供の出産は、親族の離別と同じくらいインパクトのあるイベントであるというけれど、よくも悪くもそうかもしれない。

 これが素晴らしい経験だというつもりもなく、というか、それが色んな理由で叶わなかった人達を多く見てる訳で、結婚してないとか、子供がいないのが良くないとも言い切れない。だからといって、子供が生まれて分ることもあるので難しい。いい年して結婚してないし、子供もいない人というのはちょっと雰囲気が違う気がするけれど、それがどう違うとは言い切れないし、いうつもりもない。

 その人の置かれた境遇と洗濯によってはそういう事態は簡単に起こりうる。大体結婚しようと思っていた相手がいつまでも待っていてくれる訳でも、都合良く目の前に現れてくれる訳でもないし、よしんば結婚したからといって子供がちゃんと授かる訳でも、無事生まれる訳でも、健康に発育する訳でもない。

 そうなってしまったのが悪いということは絶対なくて、そうなってしまったのはとても運が悪くて悲しいことだけれど、その立場にいると恐らく経験しないようなことが沢山あって、そういう人達がどういう風に生きて、どういう風に彼らの人生に仕舞いをつけるのか。僕はもうそういう経験を出来る立場ではなくなってしまった。

 

 というようなことを知り合いの女性数人を見ていてつとに思う。

 別に結婚できない肉体的、精神的な致命的な障害がある訳ではなくて、むしろ早くに結婚していてもおかしくないのに、そうなってないのは一体何があったのか。原因はいいとしても、恐らく結婚をした方が彼女達にとっては幸せであろうことが結婚しないでいるのがどういう影響を与えているのか。

 そして、これから先、彼女達が生まれ変わる機会を得るのか。それともそのまま人生を送るのか。たまに見ていて居たたまれない気分になる。結婚してたらいい奥さんになってたのになあ。