ほのかに残っていたCoccoの記憶と新しい感情

 Coccoの焼け野が原がリリースされたのはもう十数年は経ってると思う。

 その頃は大学生をしていて、この曲がそれまでの曲とかとも合わせて話題になっていたと思う。確か浜崎あゆみCoccoが好きとかで、少し聞いた記憶があったり、友達が車の中で聴いてたりして、こいつこんな曲聴くんだなんて思ってたりした。ちなみに最近は浜崎あゆみがダサい的なことを言われてたりなんかするけれど、ああいうちょっとヤンキーっぽい趣味は共感するところはそこそこになる。

  当時はそういう世間での流行りとかには距離置いた所謂大二病というか、サブカルかぶれというか、サブカルにかぶれるのすらダサいと思ってて、それが更にダサい、ひたすらダサい大学生だった。音楽はというとヘビメタ、プログレ、テクノという3大ファンが面倒臭いジャンルというか、アーティストにつきジャンルが一つあるようなジャンルのばかり聴いており、さらにプログレバンドの超絶テクニックこそがみんなが目指すべき最終形であり、J-POPみたいにくだらんコードばかり奏でてるような曲に、陳腐な詩を乗せててあんまり好きじゃないななんて思っていた。

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 どういうわけか、先日何かの拍子にYouTubeで音楽流してたらたまたまCoccoの弱く儚い者たちが出てきて、こんないい曲があったんだななんて思ったりしながら、夜中にぼんやりと聴いていたら、不意に歌詞が耳に入ってきて、満面の笑顔で人を切りつけに来る感覚というか、笑いながら自分の腕切りつけて、それを見せつけて来るような感覚に襲われて、Coccoというのは恐ろしい歌手なんだというのを思い知り、同時に当時の自分がこの曲を聴いてどう思ったかというと、多分何も思わなかったのだと思う。うつなっていて、SSRIというか、パキシルと沢山の睡眠薬を飲んでいた、朦朧とした頭というか、金魚鉢の中から外が歪んで見えて、音もよく聞こえないような感覚の中で生活していいて、そしてやっぱりプログレと、ヘビメタと、テクノしか認めないみたいな趣味をしていたし、非モテを拗らせていて、俺にはお姫様はいないから関係ないくらいにしか思わなかったのだと思う。

 今はどうかというと、その後に出てきた焼け野が原を懐かしみつつ、あのど直球な歌詞を聴いて、妻と結婚する前のことなどを思い出したり、していた。

 あの頃はうつ病なのを言い訳に、躾の悪い飼い犬というか、野良犬のような風体とふて腐れた態度で妻と付き合っていた。その度に妻と喧嘩したり、泣かせたたりしていた。そして、焼け野が原の歌詞みたいなことを言われた。

ねぇ 言って ちゃんと言って 私に聞こえるように 大きな声で。

そのときは額面通りちゃんとそっち見てるだろというようなことを言って、さらにキレさせていたように思う。今思えば妻に見捨てられなかった理由もよくわからないし、妻が結婚を決意した理由もよくわからない。ある種の破滅主義者だったのかもしれないし、本人に聞いても要領を得ないことをいう。ただ、わかってることは昔の自分がある種の熱情を斜に構えて小馬鹿にするような厭なやつだったということで、今は依然とよくわからず、日々これでいいのかと思いながら過ごしている。

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 子供なんかが生まれると割とこういった人生の中の疾風怒濤の時代にあったようなドロドロとした感覚と遠い、もっと即物的に何かに追われるような暮らしをするようになるのだけれど、若かった頃の感覚の鈍ったうつ病の時代のぼんやりした感覚と、その時には感じなかった、Coccoの歌詞に突き動かされるような感覚を得た。人生ももうそろそろ残りの方が短くなるのに初めての体験であって、子供の頃とか若かった頃にはこういう風になるとは思わず、歳もとってみると色々と面白い。だいたい昔は中年のおじさんなんていうのはもっと萎れて、落ち着いた生き物なんだと思っていたけれど、中年になると、中年なりの懊悩と諦めにまみれたおじさんだったり、闘うおじさんだったり、何かに突き動かされるおじさんだったりがいて、若い頃の自分が思ってたよりも色々なことがある。

 世間的にはおじさんなんていうのはいてもいなくてもいいし、どちらかというと臭いし汚いし気持ち悪いからいない方がいいくらいのことを言われているけど、別にそんなこと言われても気にならないし、おじさんはおじさんなりの諦めと、悩みと、熱情に突き動かされながら今日も世の中を回すための使い捨ての燃料として働いていくのです。これが昭和であり、氷河期の生き方なのかもしれない。