一族の繋がりと現代の超克

 人生のある時期メンタルの病にかかっていて、何を思ったかキリスト教プロテスタントの教会に通っていた。結局はキリスト教の洗礼は受けなかった。キリスト教の教会なのに社会運動とか、平和活動に熱心な人が多くて辟易したこととか、神の救いがあるとかいうのはまあなんとなくわかるのだけれど、信じれば救われるって、信じてないうちの父とか母とか祖父とか祖母は救われないのかとか、やっぱりお葬式はお焼香をあげるものだし、お墓まいりもお線香をあげるものだし、何かあれば神社にお参りに行くものだという日本人としての頑迷な宗教から脱却することができなかった。そしてその教会にはそれは年の近い綺麗な女性とかいて、その人は洗礼を受けたのだけど、それに感化されることはなかった。なぜあの女性が洗礼を受けようとしたのか今となっては少し気になる。何か思うところがあったのだろうか。何を思ってキリスト教徒になろうとするのか?それはそれとして、その女性はそれは綺麗な人だったし、色んな人と仲良くなれる能力を持ってた人なので、私とも仲良くしようとしてくれて、でも、こんな俺とも積極的に仲良くしようとしたり、しかも露悪的な話をするような奴はきっと俺と違ってなんでも持ってやがる性格の良すぎる気持ち悪いリア充だなと思って結局自分から話をすることはなかった。それはそれでどうかと思うが、それはまた別の話。

 そしていくら神に語りかけても神様は僕を救ってくれることはなくて、なんか遠藤周作の小説のようでもあるし、ヨブ記のようでもあるような結末だったけど、結局は教会に行かなくなったきっかけはまた別のところにあり、その頃SSRIをかじるように飲んでたので、変にテンションが高くて、土曜の夜中に毎週の用事を入れるようになったから日曜の朝に起きれなくなったことだった。他にも眠剤がどんどん強くなっていってベゲBを日に2錠飲み始めて本格的に日曜日の朝に起きられなくなった。

 そんな中で、いくらお祈りしようが何しようが何も心に響くものがなく、人間が水の上に浮くわけないし、死んだ人間が生き返るわけないし、新約聖書の各福音書なんて呼んでもなんでイエスが死後多くの人の支持を受けるようになったのかさっぱりわからないし、黙示録なんていうのはもはや聖書の内容を適当にかいつまんだ厨二の酔っ払いの書いた便所の落書きのようにしか見えなかった。

 こうしてキリスト教のことをボロカスに言っていますが、別にキリスト教が嫌いなわけではなくて、単純に体に合わなかったというだけの話なんだと思います。うん。そうなんだ。

 それはそれとして、何十回も言って聞いた牧師の説教の中で一つだけ印象に残ったことがあって、それは今生きる我々は聖書が書かれた人類の誕生以来からずっと信仰の輪を繋ぎ続ける存在なのであるというようなものだったと思う。日本のキリスト教の教会の見解なのか、その牧師の個人的な見解なのかはよくわからないけど、自分みたいな教会に対する貢献のない人間もそういう輪に参加しているのかどうなのかとか、不思議に思ったものだった。似たような話に人間は遺伝子を繋ぐ器であるような話があって、それを思い出したけど、別にその当時は結婚する気もなければ子供が自分のところに生まれるとも思ってもいなかったし、まあ関係のないことだくらいに思っていた。

 

 NHKファミリーヒストリーという番組があって、あれが割と好きだったりする。

 あそこまで先祖を遡って取材する調査能力もすごいし、テレビで見る芸能人の親が思わぬ過去を持ってたり、こんなこと子供に言ってなかったのかよみたいなことを親が言ってなくて、割と多くの人が親に聞いたことなかったです、この番組で初めて知りましたみたいなことを言ってて、親というのはしょうもないもんだなと思ったり、言いたくなかったことだったのかなとか思ったりする。

 なんでもかんでも言えばいいかというと、やっぱり言いたくないこともあるし、自分にとってはインパクトが大きいことで、当たり前のことだけど、子供には言い忘れていることもあるだろうし、こうして手のひらから砂がこぼれ落ちるように一族の記憶が抜け落ちていくものなのだなあと思った。

 それに何よりもやっぱり家族の物語というのは面白いもので、どの家にもそれなりの物語と、当事者たちの決断と、必死に子供を守ろうとした挙句の今があり、こうして人間というのは生きているのだなあと思う。人生というのは面白いものだと思う。

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 そして、このエンディングのくるりのRemember meがいい。

 最初はくるりだとわからなかったけど、歳をとったものだと思う。

 歌詞をよく聞くと自分が子供の頃の情景が思い浮かんだりして、歳をとると涙もろくなるものだと思う。父親に男は泣くものではないと言われて、その通りに、子供にも男は泣くものではないと言ってきたのに肝心の自分が割と簡単に涙腺が緩む。ファミリーヒストリーのエンディングでRemember meを見るだけで涙腺が緩むし、寝入り端に子供の寝顔を見てるだけで泣きそうになる。親父にタコ殴りにされる勢いである。

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 こうして子供と親とに挟まれたときに、自分がなんなのか懊悩するときもあれば、自分などはただの遺伝子の器で、この子を立派に育て上げて社会に送り出せばいいのだと思うときもある。答えは見つからないし、人間というのは割と揺らぐ生き物であるとも思う。

 では自分から彼に何を引き継いでいくのだろうかとも思う。

 これまでにも何度かこのブログでも書いたかもしれない。

 自分がしてきた勉強を彼らに託すのだろうか?

 そんなくだらない、面白くない人間になって欲しいとも思わないけど、自分は自分の知ってることでしか語りかけれることができない。だから子供たちに勉強をさせて遠くに行く力を身につけさせるわけだけれど、ではその勉強と言って何をさせるのだろうか。

 昭和の時代にはいわゆる昭和の文化人なんていうのがいて、横溝正史とかが典型なのだろうけど、クラッシック音楽を嗜んだり、もっと古くは山本有三路傍の石とか、最近話題の君たちはどう生きるかとか、二十四の瞳とかいうような文脈のものはもう我々が親となった今の時代にはどうも古ぼけて少し丈が合わないように感じる。

 思えばそういうものは明治以降日本に入ってきた西洋的な文化、価値観から導き出されてきた中流階級の嗜みとしての教養であって、そんな人道主義的で啓蒙主義的な言説はもう今みたいに階級も極端になくなってしまい、知識人というのが権威を失った今となってはものすごく陳腐なものであるように見える。まあ君たちはどう生きるかは受けてるみたいですがね。ああいう説教臭い話なんていうのは昭和の時代に捨ててきたものだのだと思っている。

 それと同じように、最近はクラシックなんて有り難がって聞かれなくなって、西洋の昔の音楽に権威を感じていたものやはり昭和の時代までであり、今となっては何が教養として聞くべき音楽なのかというのはよくわからないようになっている。でも少なくともそれは雅楽とかではないし、やはりクラッシック音楽でもないような気がする。

 ただこれはこれでちょっと痛快に思ってるところもあって、子供の頃はなんで西洋の特に文化的な繋がりもない連中の音楽を有り難がって音楽の時間に勉強しなければいかないのかがよくわからなかった。今というのはもうそういうよくわからない見栄えでやってるようなものを軽やかに無視して切り捨てることができるようないい時代になったんだと思う。昔はクラシックなんて一応有り難がらなければいけないように感じてたけど、今はもう敬して遠ざけておけばいいような存在になっていて、日本もある意味で現代を超克したのだなあと思っている。