個人的な少し昔のことなど

 昔、くるりのばらの花をよく聞いていた。

 我々の世代の中でも私のようなもやもやしたうだつの上がらない大学生にとってはある種のバイブルのようなものであった。安心な僕らは旅に出ようぜとか、ジンジャーエール買って飲んでみたこんな味だったけかとか、踏み込めないまま朝を迎えたとか、曖昧な男女の関係と思われるものを歌っていて、あの時代の空気とか、もやもやした甘ったるさとかが自分のことを言ってるかのように感じていた。

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 くるりといえば、カレーの歌はシングルになっていなかったけど、ばらの花と同じように曖昧な雰囲気がたまらなかった。もうああいう甘ったれた雰囲気に身を任せる心の余裕はないし、もう別にその必要もない。寂しい気もするけど、あの頃の無知で優柔不断だった自分に戻りたいかというと決してそうは思わない。モラトリアムは人生に一度で十分であり、あそこで見つけた打ち込むべきことはその後も自分の人生の糧となり、柱となり、その道から外れたけど、今も見苦しく取り組み、格闘している。いずれそのうちそこへ戻るときのために。

 なりたかった自分にはなれなくてもまあいいかなとも思うし、なりたい自分になりたいと願う自分もいる。執着。この執着をなくしても、もう手放してもいい頃かとも思うときもある。子供いるし、仕事ではそれなりの立場になっている。なりたい自分ではなかったけど、それなりの人たちから必要とされている人生でもある。ではそれを手放したとして、自分が自分のままでいられるかというと、手放した自分も自分のままでもあると思うし、昔の自分はそんなのは俺じゃないというかもしれない。他の人はもうそういうものは葬り去って生きているようにも思う。ただ自分は昔の自分をどこかでまだ送り出せずにいる。いらないと言って捨てたもののうち、捨てそびれたものに未だに執着している。蓋し好きなことが才能であるというけれど、何が正しいのかよくわからない。

 そしてくるりといえば、あの頃はTHE WORLD IS MINEが白眉であり、新井英樹のザワールドイズマインの連載を毎週ビビりながら読んでいた。あの頃はといえば就職氷河期とは言ったけれど、まだ今ほど悲観的な世相でもなく、0年代とかいう単語も生まれてなくて、1999年に何が起こることもなくなんとなくふわりとしたものだった記憶がある。そしてそこからアメリカの同時多発テロが発生して、第三次世界大戦を予感しつつも急速に世の中が窮屈になっていった。その少し前には小泉改革というのがあって、今の評価は日本の労働市場規制緩和で滅茶苦茶にしたという評価であるけど、郵政民営化をすれば景気も少しは良くなるという期待があったと思う。もっともその期待も、小泉首相靖国神社に参拝して、今までみんな戦後ずっと中国と韓国にやましさを感じつつも、鬱陶しいと思ってた鬱憤を晴らすことで瞬間的に上がった支持率を背景にして期待を持たせていたようにも思う。彼の言動は靖国問題北朝鮮に対する態度からして右翼的に見えることもあったが、今思えば必ずしもそうではなかったのではないかと思う。 

 

 それと少し時を前にして小林よしのりの戦争論が流行った。流行ったというか、流行ったように感じてたのかもしれない。小泉首相靖国神社参拝と相まって、それまでの戦後50年経って戦後の日本の社会が感じてた申し訳なさを見直す機会になり、そこからインターネットの普及に伴い少しずつ朝日新聞を筆頭とした左翼的な言論に疑問を呈する動きが広がってきて、ネット右翼なんていうのが出てくるのもこの頃だった。ただ、この頃はまだブログで個人個人が言いたいことを言うだけで、維新政党・新風とか、チャンネル桜とかいう団体でも活動には至っていなかった。それまでの朝日新聞の言う事には疑問を感じていたけど、中々言い出せなかったことが大っぴらに言われ始めた頃でもある。思えばこの頃にはソ連崩壊からだいぶ時間がたってきて、そういう時代の空気も薄くなってきたのだと思う。

 

 話を戻すと、同時期にはスーパーカーがあって、ミキちゃんは本当にかわいかったし、Strobolightsを聞いたときは衝撃を受けた。自分の記憶によればあれが日本のポップスのメジャーシーンにエレクトロニカ的な要素を持った曲が大々的に出てきた当初の楽曲であり、YUMEGIWA LAST BOYと共に同時代を生きた人間の中ではある種のメルクマールとなっていると思う。

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 その後、スーパーカーが解散して、LAMAを始めて、今はETVでナカコーとフルカワミキの新曲が流れる時代である。これを見て、自分の人生の主役が自分から子供に替わったと思った。そして歳を取ってもミキちゃんは可愛い。

 それはそれとして、ナカコーとフルカワミキの新曲を自分の子供と見ることがとても不思議な感じがした。15年前にスーパーカーの新曲を聞いていたのは自分だし、テレビからよくStrobolightsを流してたのも、友達の家でダラダラとスーパーカーの音楽をかけながら酒を飲みなんでいたのも自分だった。今は子供がテレビの前でナカコーとフルカワミキの新曲のこころねを聞いている、というか、見ている。15年前の自分は自分の子供と一緒にナカコーとフルカワミキの新曲を聴くときが来るとは思わなかった。何となればだらけた大学生には子供を持つ未来も予想できなければ、教育テレビが子供向けの番組をやってる時間に起きていることも予想できなかったし、今日みたいにイクメンなんて言われる時代が来るなんて思ってもいなかった。

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 個人的なことをいうのであればそうこうしているうちにうつになって5年ほど地下に潜っていた。そういうことでこの頃はどんな音楽を聴いていたかと言われると、特に何も聴いていない。昔のプログレを聴いてたようにも思うけど、あえて今同時代的なトピックを挙げようとしてる中で特筆するものもないように思う。

 そうなった理由はよくわからないし、理由を過去に求めてもそれは意味のないことだと今は思う。そうしているときに色んな女性に会った。遅めの青春である。うつになるとパキシルという薬を処方されるわけだけど、これが勃ちがすこぶる悪くなるから、誰とやってもずっと女の方がイキっぱなしみたいな事になって、ますますなんだかよくわからない泥沼に嵌っていた。

 そうしている中で、Salyuに出会った。彗星とか、TOWERがこの頃はよくメディアに出てたと思うけど、be thereとか再生が好きだ。特に再生のライブバージョンはヤマグチヒロコのサビとSalyuのコーラスが素晴らしかった。うつのときはこの再生というタイトルがあまり好きではなかったけれど、今となっては色々な意味で再生という事柄があったようにも思う。

 それは妻となる人と出会って自分の人生が再生させられたということもあるし、東日本大震災からの再生でもあるし、子供が生まれたことによる死と再生でもある。

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