子供に伝えること

 いつだかのプロフェッショナルに野村萬斎が出てた。

 野村萬斎狂言の人なので、生まれたときから既に狂言をやることが決まっていた人で、その子供もまた生まれたときから狂言をやることが決まっている。狂言をやらないといけないとか、強制してやらせるとか、そういう次元じゃなくて、狂言をやることになっている。

 自分は子供にそういうことは一切いうつもりはなかったので、そういう人たちもいることに衝撃を受けた。例えば何故か自分は理系に進んだけど、それは別に数学とか物理が好きだったわけでは全くなくて、父と母からそれとない強制を受けてこうなった。だから、そういうことを子供にさせるつもりはなくて、好きにしたらいいと思ってた。面倒臭いし。

 しかし、そういうのを超越して、生まれながらにして何かをやることになっている人生がそこにあって、何故そんなことをするのか理解できいなかった。でも、少しして、同時に自分がなぜ子供に子供の思うがままにさせようと思ったのかも理解できなくなった。なぜ。なぜ、子供に自分の仕事を継がせようとするのか、なぜ、子供に自分の仕事を継がせないとするのか。ちなみに経済的合理性から考えると子供も親と同じことをやった方が楽そうなのは一目瞭然なのだろうけど、そういう理屈をこねるのは全然面白くないのでやらない。

 

 では、何故、自分が数学をやろうとしていたのか。

 自分ではよくわからない。

 祖父がやっていたから。苦手なものを克服したかったから。父親が得意だったから。しかし父親のレベルは遥かに超えてしまった。

 何故。

 何故、子供に数学をやらせようと思わないのか。

 数学はやってもモテないし、儲からないから。数学は難しいから、教えるのが面倒臭いから。数学ができると数学が苦手な教師に嫌われるから。

 

 では、数学はやらそうとしなくても、何故子供が泣いたときに男だから泣くなというのか。自分が言われて理不尽だと感じたことをするのか。今時泣きたいときは泣けばいいとも思うけど、そうはする気には到底なれない。

 何故。

 男は強くなければならないから泣いてはいけないと言われたけど、何故強くなければいけないのか。将来結婚して妻子を守るため。では何故男が妻子を守らなければいけないのか、そもそも何故結婚して子供をもうけないといけないのか。何故。何故強くあるためには泣いてはいけないのか。泣くことと強さは何かの因果関係があるのか。

 何故。