戦争の記憶の消失と本当の意味での戦後の終焉

 ひめゆり部隊に所属していた人が老齢になり、体力的に辛いので、今後戦争についての講演を継続できないという記事がありました。

沖縄戦で負傷した兵士の看護などに動員され多くの犠牲者を出した「ひめゆり学徒隊」の元学徒たちが、各地へ出向いて戦争体験を語る「館外講話」と呼ばれる活動が、元学徒の高齢化から終了することになり、沖縄県糸満市で最後の活動が行われました。

ひめゆり学徒隊の元学徒たちは、過酷な体験を次の世代に伝えようと主に修学旅行生を対象に沖縄県内の各地に出向いて館外講話を行ってきましたが、高齢になり負担が大きいとして今月で活動を終えることになりました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130928/k10014888281000.html

 もう戦後70年以上を経過していて、その頃に現役だった人達はもう80歳を越える訳です。戦争は悲惨だとかいった所で、それを伝える人がいないのではもうその思いは社会に対して強力なメッセージを訴えることが出来なくなるのかもしれません。

 例えば戦争はひさんだといった話を戦争を経験した人が次の世代に口伝で伝えたとします。そして講演したとします。しかしそれはもはや「戦争中の悲惨な経験についての講演」ではなくて、「戦争中の悲惨な物語の講演」になってしまいます。

 いずれこうして世間から戦争の記憶が失われていくのかもしれません。思えば日清日露戦争の頃の経験の講演というのは今現在では寡聞にして聞きません。同じように、沖縄戦の悲惨な経験、とか、原爆投下の悲惨な経験とか、は口伝でしか伝わらないようになり、いずれ碑文のみが外部記憶装置として後世に残されることになるのではないでしょうか。

 このような平和活動については是非は問わないのですが、最早戦後ではないといわれたのが戦後20年くらいで、安倍首相が戦後レジームからの脱却とぶち挙げたのが戦後60年くらい。戦後レジームどころか、戦争の記憶すらなくなってしまうのではないでしょうか。それがいいか悪いかは別にして。

 そういえば、先日会社のミーティングで、総務のオジさんが、山本五十六の「やってみて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」というのを言ってたのですが、最近入社したような若手は山本五十六を知らないのが多く、知っていても陸軍の対称だったのか、海軍の大将だったのかしらないというのもいました。最近は日本がアメリカと戦争したことを知らない人もいるみたいですから案外そういうものなのかもしれません。この手の話は現場の課長と出張に行ったときにも話をしました。

 確かに戦争は悲惨で、よくないことなのですが、その記憶が薄れるのは致し方ない所もあるかとは思います。我々は親からそのことを言い聞かされているので、それを若い人達に伝承する義務があるのかな共思います。でもそれが行き過ぎても良くないし、難しい所です。

 ごく個人的な思いとしては、世間では戦争は悪い戦争は悪いと言われていますが、曾祖父が職業軍人で、祖父も軍人で、祖母は子供時代を大陸で過ごしたという事情があり、それを懐かしむ様子を聞くにつけ、僕の中では戦争はいい悪いは別の感情があるのもまた事実です。

 戦争が悪いというのは自分の曾祖父と祖父を否定することであり、子供の頃の社会の時間は悩ましい思いをしたのもいい思い出です。

 そしてシベリアに抑留された祖父は僕が生まれる前から既にこの世におらず、祖母もそろそろ老境に差し掛かっています。これまでの人生に祖父の影響が少なからずあったことから彼がどのような人生を送ってきたのかは興味があるのですが、ずっと前になくなってしまったこと、母の旧軍についてのついての知識が出鱈目なこと、祖母が余り語らないことからよくわかっていません。いずれ聞かなければいけない日が来るとは思いつつ。

 ここで僕が祖父の話を聞いておかなければ僕の一族の中での戦争の記憶が消失してしまい、僕の子供にそれを託せなくなってしまいます。託す必要があるかは別として。ただ、そういう時代に生きて、そういう生き方をした、せざるをえなかった早死にのオジさんがいたことだけはせめて僕の子供には伝えておきたいと思うのです。