5年前に買ったMacBookProのOSを入れ直して環境を整備し直す日記その6
個人的な少し昔のことなど
昔、くるりのばらの花をよく聞いていた。
我々の世代の中でも私のようなもやもやしたうだつの上がらない大学生にとってはある種のバイブルのようなものであった。安心な僕らは旅に出ようぜとか、ジンジャーエール買って飲んでみたこんな味だったけかとか、踏み込めないまま朝を迎えたとか、曖昧な男女の関係と思われるものを歌っていて、あの時代の空気とか、もやもやした甘ったるさとかが自分のことを言ってるかのように感じていた。
くるりといえば、カレーの歌はシングルになっていなかったけど、ばらの花と同じように曖昧な雰囲気がたまらなかった。もうああいう甘ったれた雰囲気に身を任せる心の余裕はないし、もう別にその必要もない。寂しい気もするけど、あの頃の無知で優柔不断だった自分に戻りたいかというと決してそうは思わない。モラトリアムは人生に一度で十分であり、あそこで見つけた打ち込むべきことはその後も自分の人生の糧となり、柱となり、その道から外れたけど、今も見苦しく取り組み、格闘している。いずれそのうちそこへ戻るときのために。
なりたかった自分にはなれなくてもまあいいかなとも思うし、なりたい自分になりたいと願う自分もいる。執着。この執着をなくしても、もう手放してもいい頃かとも思うときもある。子供いるし、仕事ではそれなりの立場になっている。なりたい自分ではなかったけど、それなりの人たちから必要とされている人生でもある。ではそれを手放したとして、自分が自分のままでいられるかというと、手放した自分も自分のままでもあると思うし、昔の自分はそんなのは俺じゃないというかもしれない。他の人はもうそういうものは葬り去って生きているようにも思う。ただ自分は昔の自分をどこかでまだ送り出せずにいる。いらないと言って捨てたもののうち、捨てそびれたものに未だに執着している。蓋し好きなことが才能であるというけれど、何が正しいのかよくわからない。
そしてくるりといえば、あの頃はTHE WORLD IS MINEが白眉であり、新井英樹のザワールドイズマインの連載を毎週ビビりながら読んでいた。あの頃はといえば就職氷河期とは言ったけれど、まだ今ほど悲観的な世相でもなく、0年代とかいう単語も生まれてなくて、1999年に何が起こることもなくなんとなくふわりとしたものだった記憶がある。そしてそこからアメリカの同時多発テロが発生して、第三次世界大戦を予感しつつも急速に世の中が窮屈になっていった。その少し前には小泉改革というのがあって、今の評価は日本の労働市場を規制緩和で滅茶苦茶にしたという評価であるけど、郵政民営化をすれば景気も少しは良くなるという期待があったと思う。もっともその期待も、小泉首相が靖国神社に参拝して、今までみんな戦後ずっと中国と韓国にやましさを感じつつも、鬱陶しいと思ってた鬱憤を晴らすことで瞬間的に上がった支持率を背景にして期待を持たせていたようにも思う。彼の言動は靖国問題や北朝鮮に対する態度からして右翼的に見えることもあったが、今思えば必ずしもそうではなかったのではないかと思う。
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それと少し時を前にして小林よしのりの戦争論が流行った。流行ったというか、流行ったように感じてたのかもしれない。小泉首相の靖国神社参拝と相まって、それまでの戦後50年経って戦後の日本の社会が感じてた申し訳なさを見直す機会になり、そこからインターネットの普及に伴い少しずつ朝日新聞を筆頭とした左翼的な言論に疑問を呈する動きが広がってきて、ネット右翼なんていうのが出てくるのもこの頃だった。ただ、この頃はまだブログで個人個人が言いたいことを言うだけで、維新政党・新風とか、チャンネル桜とかいう団体でも活動には至っていなかった。それまでの朝日新聞の言う事には疑問を感じていたけど、中々言い出せなかったことが大っぴらに言われ始めた頃でもある。思えばこの頃にはソ連崩壊からだいぶ時間がたってきて、そういう時代の空気も薄くなってきたのだと思う。
話を戻すと、同時期にはスーパーカーがあって、ミキちゃんは本当にかわいかったし、Strobolightsを聞いたときは衝撃を受けた。自分の記憶によればあれが日本のポップスのメジャーシーンにエレクトロニカ的な要素を持った曲が大々的に出てきた当初の楽曲であり、YUMEGIWA LAST BOYと共に同時代を生きた人間の中ではある種のメルクマールとなっていると思う。
その後、スーパーカーが解散して、LAMAを始めて、今はETVでナカコーとフルカワミキの新曲が流れる時代である。これを見て、自分の人生の主役が自分から子供に替わったと思った。そして歳を取ってもミキちゃんは可愛い。
それはそれとして、ナカコーとフルカワミキの新曲を自分の子供と見ることがとても不思議な感じがした。15年前にスーパーカーの新曲を聞いていたのは自分だし、テレビからよくStrobolightsを流してたのも、友達の家でダラダラとスーパーカーの音楽をかけながら酒を飲みなんでいたのも自分だった。今は子供がテレビの前でナカコーとフルカワミキの新曲のこころねを聞いている、というか、見ている。15年前の自分は自分の子供と一緒にナカコーとフルカワミキの新曲を聴くときが来るとは思わなかった。何となればだらけた大学生には子供を持つ未来も予想できなければ、教育テレビが子供向けの番組をやってる時間に起きていることも予想できなかったし、今日みたいにイクメンなんて言われる時代が来るなんて思ってもいなかった。
個人的なことをいうのであればそうこうしているうちにうつになって5年ほど地下に潜っていた。そういうことでこの頃はどんな音楽を聴いていたかと言われると、特に何も聴いていない。昔のプログレを聴いてたようにも思うけど、あえて今同時代的なトピックを挙げようとしてる中で特筆するものもないように思う。
そうなった理由はよくわからないし、理由を過去に求めてもそれは意味のないことだと今は思う。そうしているときに色んな女性に会った。遅めの青春である。うつになるとパキシルという薬を処方されるわけだけど、これが勃ちがすこぶる悪くなるから、誰とやってもずっと女の方がイキっぱなしみたいな事になって、ますますなんだかよくわからない泥沼に嵌っていた。
そうしている中で、Salyuに出会った。彗星とか、TOWERがこの頃はよくメディアに出てたと思うけど、be thereとか再生が好きだ。特に再生のライブバージョンはヤマグチヒロコのサビとSalyuのコーラスが素晴らしかった。うつのときはこの再生というタイトルがあまり好きではなかったけれど、今となっては色々な意味で再生という事柄があったようにも思う。
それは妻となる人と出会って自分の人生が再生させられたということもあるし、東日本大震災からの再生でもあるし、子供が生まれたことによる死と再生でもある。
俺とたばこのこと
禁煙して随分経つけど、たまに無性にたばこを吸いたくなる。
お酒を飲んだときであったり、ストレス発散のためだったりする。
そういうときもあれば、漫画を読んでてたばこを吸うシーンを見ると、ああ美味しそうだなあなんて思う。最近では、「恋は雨上がりのように」の店長がファミレスのバックヤードの窓を開けて一服してるところなんて本当にたばこ吸いたいなあと思うし、恋雨の店長とパトレイバーの後藤隊長がなんか似てるところからいうと、最終巻で、事務所の廊下で隊長がたばこに火をつけて考え込んでいて、そのまま結局一服もせず、長くなりすぎた灰が落ちるシーンもまたあの中での印象的なシーンである。
たばこといえば筑紫哲也さんがよくたばこを吸ってたらしいけど、彼のいうことは逐一気障で気に触るし、大体ああいった左翼っぽい人は好かないのだけど、その発言の中のたばこに関するところだけはああいう立場の人がああいう見識を披露するのはまた時代にそぐわないながらも味のあるものだなあと思ったりした。
百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。たばこの喫煙は人類が発明した偉大な文化で、たばこの代わりはありませんよ。これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね
http://muumoo.jp/log/Tobacco.html
そうして、たばこをやめてしばらく経つけど、たまに一本だけもらったりしてたばこを吸うけど、気持ち悪くなってもう二度と吸いたくないと思って、たばこのおいしさがわからなくなって寂しい気分にもなる。こういう時代にたばこを吸いたいなんていい流儀ではないけれど、たばこを吸う姿というのもまた風情のあるものであるとも思う。
なりたかった自分と何者でもない自分
最近こういう文章を見て思うところがあった。切り抜き方が書いた人の本意ではないかもしれないけど。割と気に入ってる文章である。
職業人は、社会に出てから二度死ぬのだと。
一度目は、何ものでもない自分というものを受け入れる過程で。
そして、二度目は40才の声を聞く中年となった頃、やはり自分は何ものにもなれずに人生を終わるのだということを受け入れる過程で。
10年前の自分はというと、今頃は何ものかになっているか、どこかで野垂れ死んでいることだろうと思っていた。だから、今みたいな何ものにもなっていない自分というのはあまり考えていなかった。
割と負けず嫌いな方なので、色々なことをやろうと試みて、そうしている間に妻と結婚して、子供が2人生まれた。
妻と出会って命を拾った。
子供が生まれて子供の父として生まれかわった。
そうして忙しく暮らしているうちに自分が何ものになろうかなんていうのは割とよくなってしまった。子供が生まれるまでは仕事から帰って、食事して、風呂に入ったら他にも色々と勉強していたものだけれど、子供の世話をするうち、そういうこともしなくなり、そのうち段々職場のカラーにも染まってくるし、子供は子供で面倒を見なければならず、なりたい自分、なりたかった自分になることはそのうちお留守になった。
お留守になったけど、それでいいと思った。
独り身でずっと過ごしていたら、こういう風に思っているかはよくわからない。
結局のところ、一人で生きようとすると、自分のなりたい自分とか、なりたかった自分とか、自分は何もので何をなしたのかというのを自分のやることで引き受けないといけないので、歳をとってくるとそうやって自分と向き合うのはとても辛いことだと思う。
だから家族がいて良かったということではないし、子供がいることを言い訳にするわけでもない。ただ、もう昔みたいに何ものかにならねばならぬと思っていた自分はもういなくて、どうにかして家族を養わなければいけないからやることやるという自分が今ここにいるということみたいだ。