車谷長吉と駿台予備校の思い出

 十数年ほど前、浪人生をしていた。

 今よりも以前の方が18歳年齢が多くて、浪人というのは割とありふれたものだったと思う。そんなこんなで予備校に通って不貞腐れた浪人生をしていた。

 予備校は駿台に行っていた。

 なんで駿台かって、父も駿台に行ってたからとかそんな理由だったと思う。

 ともあれ柏とか松戸とかあの辺の新興住宅地のソリの合わない奴らと離れて、地元の近い学生が多かった駿台での生活はそれはとても気楽なものだった。下町特有の気取らなさと、野暮ったさと、下町だけで人生が完結するだろうと何となく思ってる幸せな孤立主義的な雰囲気が良かった。

 その中で面白かったことといえば、理系のクラスに通っていたのだけれど、野島師の日本史と長内師の英語の長文読解だった。ちなみに、師というのは駿台での講師を書面であらわすときの敬称である。長内師は厳しいおばさんだったけれど、授業の内容が面白く。文章も必ずしも長いわけではないけれど、含蓄のあるchoiceというものを使っていた。

 ちなみに長内師の師匠が奥井師だったのだけれど、個人的には長内師の授業が好きだった。なぜ好きかと言われると、どうやら豊富な知識と教養を持ってるだろうところから繰り出される直感的で、直接的な解説が何かを試されているようで好奇心を刺激されたものだった。

 その授業の中で、あるとき文学の話になって、その年に車谷長吉赤目四十八滝心中未遂で直木賞を取った年だったのだけれど、そのときにそれを紹介していた。曰く、文学とは例えばHonore de Balzacゴリオ爺さんであるとか、日本文学であれば最近直木賞を取った車谷長吉赤目四十八滝心中未遂である。私は時代におもねるような二人の村上さんはあまり好きではないとのことだった。

 そのときは村上春樹は持って回ったような言い方をするからあまり好きではないなあと思っていて、車谷長吉は知らなかったし、バルザックを読む人生などは想像もしていなかった。

 

 そこから10年ほど経って、あるときふと車谷長吉のことを思い出して、赤目四十八滝心中未遂を買って、読んだ。これこそが正に文学であり、長内師の言っていたことが丁度わかる時期に巡り合った。多分もう少し若い頃だったらこの娯楽性を評価できなかったのだろうと思う。

 時間が経ってから後こんな風にして自分の中に残る浪人時代の先生の言葉が残ってるとは思わず、私の文学の師である妻にこのことを言ったところ、とてもいい先生に出会ったし、そういう本との出会い方は言いものだと言われた。こうやって文学の話をできる妻と結婚できて本当に良かったと思う。

 

赤目四十八瀧心中未遂

赤目四十八瀧心中未遂

 

 

Mac OS X Sierra

 何の気なしにMacBookProのAppStoreのアプリの更新をポチポチ押していたらうっかりOSのアップデートをしてしまい、特に望んでないのにOSがSierraになってしまった。

 もともとEl Capitaneになった時から日本語入力に予測変換機能がついたことで死ぬほど鬱陶しかったのに、更に何故か頻繁にシャットダウンするようになって、もうMac使うのやめようかなと思ってたのが更に固い決意に変わった。PCをぶち壊しそうになったければ、SMCのリセットをしたら何とか耐えられるレベルにまで落ち着いた。でもまたHDDへの読み書きを中々やめない。ので腹がたつ。あとカナ変換が絶望的なまでの時間遅れが出てきて、本当に殺意が芽生える。

 次買い換えるときは少なくともMacはないな。

 まあiTunesに入れてた音楽が問題ではあるけど、最近はWindowsでもiTunes使えるしな。それとも何かのLinuxにしようかな。CentOSとかいいのかもしれない。

 別にね、PCでSiriなんて使えなくていいし、iCloudとの連携なんて電話でしてくれればいいんですよ。ただ単に使い勝手のいいUnix環境が欲しかっただけなので、勝手に予測変換したり、Siriを勝手に入れたり、勝手にAppStore入れたりするようなゴミOSは知りません。そんなのでかくて邪魔なだけのiPhoneとかiPadじゃないか。いつからAppleはこういうくだらんものを作るようになったんだろうか。さようならMac。と言いながらも先立つ物がないので次のPCを中々買えないので、このまましばらく行くんでしょうがね。

アメリカ大統領選と日本の再軍備

 トランプが大統領になってTrump triumphとか言ったりするかもしれないわけですが、彼が選挙戦の中で言ってたことの中で一番困るのが在日米軍の撤退だと思う。凡そ70年前に当時の日本の沢山の軍人の血によって贖うことで第二次世界大戦後の世界の軍拡競争を全てアメリカにやらせて日本はそこから自由な立場でいることができたのに、トランプが大統領になって本当に在日米軍がいなくなると全部台無しだ。

 戦争に負けた屈辱と、そのときに亡くなった日本の軍人の血で冷戦下では日本の存亡の危機にはアメリカ国民の税金から割り当てられたアメリカの軍事予算で購入した兵器を使って、アメリカの若者を日本の若者の代わりに前線に立たせるという建前を維持し続けられたのに、これだと本当に日本が自前で武器を買って、自衛隊が出て行くような体制にしていかないと日本も一時のフィリピンのように諸外国から領海、領土を侵食される憂き目に遭ってしまう。

 果たして日本でこれだけ景気が悪い中で軍事予算を増やすことができるのか。その前に頭のおかしい左翼が沢山いる中でそう言った議論をすることができるのか。

 もしこれでアメリカが中国とかロシアとかとくっつき始めたりするとまた第二次世界大戦前夜のように日本にとって最悪の状況に陥ってしまう。地政学的に中国とかロシアのような専制的大陸国家と、アメリカのような自由主義国家が同盟を組むことはなくて、そういうときは第二次世界大戦のときのようにアメリカが一方的にソ連に使われるだけの関係になる。

大学の教授になる方法

 目的と手段をはき違えるととか、そんな話は別にして、大学の教授になる方法。

 学生さんからは、大学院に行って、学位を取って、ポスドクを数年したり、バイトして非常勤講師をして、期限付きの助教になって、准教授になって、教授になってとかが思いつく方法だろうか。それはそれで一つの手です。

  1. 大学卒業 22才 年収0円
  2. 大学院修士課程卒業 24才 年収0円
  3. 大学院博士課程卒業 28才 年収0円 
  4. 学位を取ってすぐに任期付きのポスドク第1ラウンド開始、終了時 31才 年収300〜500万
  5. 引き続きポスドク第2ラウンド。終了時 34才 年収300〜500万
  6. やっと期限付きの助教第1ラウンドになる。終了時37才 この辺の年収はよくわからないけど、400〜600万くらいでしょうか?
  7. 期限付き助教第2ラウンド。終了時40才 年収600万じゃきついですね。もっともらっててほしいもの。
  8. この辺でテニュアに。助教か准教授か。准教授でやっと年収1000万に届くかでしょうか。上の教授が退官しなとなかなか教授になれない。
  9. 50くらいで教授でしょうか。この辺になると年収1000万を超えるのかな。超えててほしい。

そういうことで、つつがなくというか、かなり研究者人生うまく渡って早くて40代中盤で教授になれるかどうかでしょうか。民間企業で言えば課長か部長くらいの年収でしょうか。しかしそれになるまでの期間が果てしなく給料が低くてやってられないです。しかも3年に一回転職活動があります。

 大学にいたときはこんなもんかと思ってましたが、まず給料が安すぎて、今となっては大学の助教にしてあげると言われたところで、給料が下がるならなりたくない。ここまでの知識を身につけるのにはそれなりの時間がかかったわけで、28才まで年収0円で過ごしてきた世間知らずには学振の給料の月給40万円は大きいのでしょうが、そんなもん所詮年収500万(期限付き)です。一部上場企業の正社員ならそんな身分の保障されていない仕事はしたくない。

 その上、毎度の契約更改でいつも契約が切れた行くところがないというリスクがあります。年々パイは小さくなります。でも年々歳をとって、無理も効かなくなります。その上、自分で研究費を取ってこなくてはなりません。もはや文科省から出てくる運営交付金なぞあてにはできず、科研なり、その他省庁の研究費などを引っ張ってこなければなりません。つまり、研究者が自分で営業戦略を立てて、どこかから数年掛かりのプロジェクトを取ってこないといけません。しかもコネがなければどういうテーマが客が求めているものか知ることもできません。無理ゲーです。っていうか、研究者に営業させるな。

 あまつさえ仕事が少ない上に、自分の仕事が求められてやっているものかどうかわからない。別に求められていないものでもいいけど、そんな外部の機関とやらに評価されなければできない程度の研究テーマにしか金が付きません。

 

 じゃあどうするかって?

 2つやり方があるけど、やり方は似てる。

 私は理系の人間なので、暗黙のうちに理系の作法が思いつくので、理系のケースを紹介しようと思います。

 1つ目は、それぞれの業界の御三家とか言われる会社の研究開発部門に入ること。設計でもいいかもしれないけど、研究開発部門がいいです。研究開発部門は入るのが難しいと思われるかもしれないけど、割と希望が通ることが多いみたい。

 せめて修士くらいは取っておいてもいいでしょう。

  1. 大学卒業 22才 年収0円
  2. 大学院修士課程卒業 24才 年収0円
  3. 主任研究員とかなる 35才 年収600〜700万
  4. 係長とか、偉い研究員とかなってどっかの大学で社会人博士を取らせてもらう。太っ腹な会社だと海外留学でもさせてくれる。どっかの業界団体とか、財団法人の研究員とか、何とか委員になってその業界のインサイダーとがっぷりパイプを持っておく。 40才 年収1000万
  5. どこかの大学のポストが空いたので、業界のトレンドのテーマを持って大学教員になる。45才 年収1000万くらい?

 もう一つは、上と同じですが、今度は経産省とか、国交省とかの理系っぽい役所に国1の試験を受かって入庁することです。国1の試験に受かるのが難しいって?1学年で大学の博士課程を卒業して大学の教授になる人の数と、国1の採用数どっちがいいか調べてみたらいいと思います。そして、入庁後は色んなところに行きますが、その省庁傘下の独法での業務に携わることです。ポスドクで各独法で研究する人もいますが、そんな一般入試で入っても無駄な競争をさせられたり、試験でふるいにかけられたりするだけです。役所についてはどういうキャリアパスがあるのか詳しくないですが、会社と同じくらいかと思います。その中で技官的思考が高い人は大学の教員になってる人がいくらかいます。あるいは天下る代わりに大学教員になる人もいるみたいですね。

 これらケースは何がいいかというと、自分たちで研究のニーズを掴んでいて、それを解決するために大学教員になるというやり方であることで、日本が大学に対してニーズに対する解を出しなさいというスタンスで臨んでいる限りはこのやり方が圧倒的に有利です。いわば、大学に対して発注側になって、それで自分で受注して仕事をするスタイル。

 これがいいか悪いかというと、いいことでもない気がして、このコースで東大の生研の教授になったおっさんが、経験的に色んな保存則の類似性に最近気がつきましたとか言ってて、このバカNoetherの定理も知らないで東大の生研の教授だかなんだかしてんのかよ、マジでチャレンジする会社のOBは頭の中もチャレンジングだなって思いました。つまり、このやり方のデメリットはバカが東大の教授になってしまうことです。俺の納めた税金返せ馬鹿野郎。

レールに沿った人生とは

 そもそもこの人程度の偏差値と根性じゃレールに乗れないから別に大学を卒業してもしなくても同じだから大学辞めても辞めなくても同じ。精々個人事業主の開業届でも出して馬車馬のように働いてくれ。 

menhera.jp

 

 なぜかくも腹がたって、反応するのか。こんなの書くだけ時間の無駄なのはわかってるんだけど。

  • 教育学部は俺の敵だ。
  • バカは嫌いだ。
  • 自分がバカであることを気付かずにバカであることを世界に対して表明しているようなのを見るとついついみんなと歩調を合わせてバカと罵りたくなる。
  • 大学の勉強が難しすぎて興味が持てなかったから破壊活動と乱行パーティーに明け暮れたのが今の老害共で、勉強がわからないことを自分の頭が足りないことに帰せず、興味が持てないとか言ってるから本当にこいつ団塊の世代並みに卑怯な奴だなと思って虫酸が走る。

この手のバカは数年に一度、彗星のように現れてインターネッツの一部を騒がせていくのだけど、俺はこの手のバカが本当に嫌いなので、全員まとめて不幸な最期を迎えてくれればいいのにと思っていますので、頑張ってください。

子供に伝えること

 いつだかのプロフェッショナルに野村萬斎が出てた。

 野村萬斎狂言の人なので、生まれたときから既に狂言をやることが決まっていた人で、その子供もまた生まれたときから狂言をやることが決まっている。狂言をやらないといけないとか、強制してやらせるとか、そういう次元じゃなくて、狂言をやることになっている。

 自分は子供にそういうことは一切いうつもりはなかったので、そういう人たちもいることに衝撃を受けた。例えば何故か自分は理系に進んだけど、それは別に数学とか物理が好きだったわけでは全くなくて、父と母からそれとない強制を受けてこうなった。だから、そういうことを子供にさせるつもりはなくて、好きにしたらいいと思ってた。面倒臭いし。

 しかし、そういうのを超越して、生まれながらにして何かをやることになっている人生がそこにあって、何故そんなことをするのか理解できいなかった。でも、少しして、同時に自分がなぜ子供に子供の思うがままにさせようと思ったのかも理解できなくなった。なぜ。なぜ、子供に自分の仕事を継がせようとするのか、なぜ、子供に自分の仕事を継がせないとするのか。ちなみに経済的合理性から考えると子供も親と同じことをやった方が楽そうなのは一目瞭然なのだろうけど、そういう理屈をこねるのは全然面白くないのでやらない。

 

 では、何故、自分が数学をやろうとしていたのか。

 自分ではよくわからない。

 祖父がやっていたから。苦手なものを克服したかったから。父親が得意だったから。しかし父親のレベルは遥かに超えてしまった。

 何故。

 何故、子供に数学をやらせようと思わないのか。

 数学はやってもモテないし、儲からないから。数学は難しいから、教えるのが面倒臭いから。数学ができると数学が苦手な教師に嫌われるから。

 

 では、数学はやらそうとしなくても、何故子供が泣いたときに男だから泣くなというのか。自分が言われて理不尽だと感じたことをするのか。今時泣きたいときは泣けばいいとも思うけど、そうはする気には到底なれない。

 何故。

 男は強くなければならないから泣いてはいけないと言われたけど、何故強くなければいけないのか。将来結婚して妻子を守るため。では何故男が妻子を守らなければいけないのか、そもそも何故結婚して子供をもうけないといけないのか。何故。何故強くあるためには泣いてはいけないのか。泣くことと強さは何かの因果関係があるのか。

 何故。