最近は宇多田ヒカルがとてもいいと思うようになった件について
前の日記で音楽のことを書いたのだけれど、最近はCDで音楽をめっきり聞かなくなって、アレクサ、宇多田ヒカルかけてなんていって聞いています。宇多田ヒカルがデビューしたのは高校卒業して、浪人して、大学入った頃だったと思う。あいも変わらずのことだけど、その頃はヘビメタ、プログレ、テクノなんていう3大ファンがうるさいジャンルの音楽を聴いていて、特にプログレ沼のマイナーであればマイナーであるほど素晴らしいなんていう世界に浸っていた。だから、J-POPとか聴いてるのは鼻でせせら笑って、こいつらとは趣味が合わねーななんて思っていた。だから、宇多田ヒカルなんて聞いていなかった。ただ、街中を歩いていたり、テレビで流れてくるからなんとなく楽曲は知ってるみたいな感じだった。
それより我々理系のオタクに近い立場にいる人間にとってはギャルが空気を読まない生き物だから我々のようなキモい生き物にも空気読まず優しいなんていう一方的に気持ち悪い親近感を感じているのと同じように、よくギャルが聞く浜崎あゆみを聞いていた。なんかの拍子にギャルっちいねーちゃんと話したときに浜崎あゆみ聞くなんていったらはまあゆ可愛いよねなんていう話をしたりもした。
そこから宇多田ヒカルに再開したのは新劇のエヴァQのエンディングの桜流しだった。結婚してオタクとしての知識は要求しないがオタクのいろは程度は嗜むべしという古典的なオタクの妻の教育を受けて、エヴァは一通り見て、子供が生まれるあたりで映画館に観にいって、ああ、庵野だなあ、こいつ相変わらず引っ張るなあなんて思いながら流れてきたのが桜流しで、正直ぶったまげた。
何にぶったまげたかというと、歌のうまさで、それまでこんな歌の上手い人の曲を聴いてなかったのかと悔やんで、シングル出た瞬間買った。iTunesで。あの頃からあまりCDで聞く習慣はなくなっていたね。
それからしばらくは宇多田ヒカルはまた聞かなかったのだけど、最近AmazonのEchoで妻が宇多田ヒカルを流していて、やっぱり歌うめえし、最近は特にいい曲が多いななんて思っていた。ただ、歌詞がいいとか、なんとかは特に思ってなくて、いとも簡単そうに難しい歌を歌ったり、その声どこから出るのみたいな感じの音色にひたすら聞き惚れていて、なんで大学生の頃の俺はああやって斜に構えていたいのかと思っていた。
だけど、色々と聞いていくと最近の曲でよく聞くちょっと四つ打ちが入ってるようなのは馴染みがあるし、そこに宇多田ヒカルの声とテクニックが混ざるともうやられる。ひたすらにやられる。このおばさん俺を頃しにきていると思う。そしてヘビーローテンションしている。
ほのかに残っていたCoccoの記憶と新しい感情
Coccoの焼け野が原がリリースされたのはもう十数年は経ってると思う。
その頃は大学生をしていて、この曲がそれまでの曲とかとも合わせて話題になっていたと思う。確か浜崎あゆみがCoccoが好きとかで、少し聞いた記憶があったり、友達が車の中で聴いてたりして、こいつこんな曲聴くんだなんて思ってたりした。ちなみに最近は浜崎あゆみがダサい的なことを言われてたりなんかするけれど、ああいうちょっとヤンキーっぽい趣味は共感するところはそこそこになる。
当時はそういう世間での流行りとかには距離置いた所謂大二病というか、サブカルかぶれというか、サブカルにかぶれるのすらダサいと思ってて、それが更にダサい、ひたすらダサい大学生だった。音楽はというとヘビメタ、プログレ、テクノという3大ファンが面倒臭いジャンルというか、アーティストにつきジャンルが一つあるようなジャンルのばかり聴いており、さらにプログレバンドの超絶テクニックこそがみんなが目指すべき最終形であり、J-POPみたいにくだらんコードばかり奏でてるような曲に、陳腐な詩を乗せててあんまり好きじゃないななんて思っていた。
どういうわけか、先日何かの拍子にYouTubeで音楽流してたらたまたまCoccoの弱く儚い者たちが出てきて、こんないい曲があったんだななんて思ったりしながら、夜中にぼんやりと聴いていたら、不意に歌詞が耳に入ってきて、満面の笑顔で人を切りつけに来る感覚というか、笑いながら自分の腕切りつけて、それを見せつけて来るような感覚に襲われて、Coccoというのは恐ろしい歌手なんだというのを思い知り、同時に当時の自分がこの曲を聴いてどう思ったかというと、多分何も思わなかったのだと思う。うつなっていて、SSRIというか、パキシルと沢山の睡眠薬を飲んでいた、朦朧とした頭というか、金魚鉢の中から外が歪んで見えて、音もよく聞こえないような感覚の中で生活していいて、そしてやっぱりプログレと、ヘビメタと、テクノしか認めないみたいな趣味をしていたし、非モテを拗らせていて、俺にはお姫様はいないから関係ないくらいにしか思わなかったのだと思う。
今はどうかというと、その後に出てきた焼け野が原を懐かしみつつ、あのど直球な歌詞を聴いて、妻と結婚する前のことなどを思い出したり、していた。
あの頃はうつ病なのを言い訳に、躾の悪い飼い犬というか、野良犬のような風体とふて腐れた態度で妻と付き合っていた。その度に妻と喧嘩したり、泣かせたたりしていた。そして、焼け野が原の歌詞みたいなことを言われた。
ねぇ 言って ちゃんと言って 私に聞こえるように 大きな声で。
そのときは額面通りちゃんとそっち見てるだろというようなことを言って、さらにキレさせていたように思う。今思えば妻に見捨てられなかった理由もよくわからないし、妻が結婚を決意した理由もよくわからない。ある種の破滅主義者だったのかもしれないし、本人に聞いても要領を得ないことをいう。ただ、わかってることは昔の自分がある種の熱情を斜に構えて小馬鹿にするような厭なやつだったということで、今は依然とよくわからず、日々これでいいのかと思いながら過ごしている。
子供なんかが生まれると割とこういった人生の中の疾風怒濤の時代にあったようなドロドロとした感覚と遠い、もっと即物的に何かに追われるような暮らしをするようになるのだけれど、若かった頃の感覚の鈍ったうつ病の時代のぼんやりした感覚と、その時には感じなかった、Coccoの歌詞に突き動かされるような感覚を得た。人生ももうそろそろ残りの方が短くなるのに初めての体験であって、子供の頃とか若かった頃にはこういう風になるとは思わず、歳もとってみると色々と面白い。だいたい昔は中年のおじさんなんていうのはもっと萎れて、落ち着いた生き物なんだと思っていたけれど、中年になると、中年なりの懊悩と諦めにまみれたおじさんだったり、闘うおじさんだったり、何かに突き動かされるおじさんだったりがいて、若い頃の自分が思ってたよりも色々なことがある。
世間的にはおじさんなんていうのはいてもいなくてもいいし、どちらかというと臭いし汚いし気持ち悪いからいない方がいいくらいのことを言われているけど、別にそんなこと言われても気にならないし、おじさんはおじさんなりの諦めと、悩みと、熱情に突き動かされながら今日も世の中を回すための使い捨ての燃料として働いていくのです。これが昭和であり、氷河期の生き方なのかもしれない。
そのうち北朝鮮のあたりで発生するであろう事変は何革命と呼ばれることになるのだろうか
先日アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩の会談があったけど、これを北朝鮮の非核化とか、南北統一とか、拉致被害者の帰国とか、所謂、日本、韓国に寄った目線で見るとそうなんだろうなあという風な報じされ方がされている。Googleで今日時点の"北朝鮮"の検索結果はなんかそんな感じであり、下のような記事が検索結果に並んでいるので、まあ注目されているのだろうと思う。
ところで、東アジアには冷戦時代には竹のカーテンと呼ばれる構造があり、まだそれが北朝鮮と韓国によって生きている。所謂38度線が旧西側陣営と旧東側陣営の前線であり、今となっては中国、ロシア対アメリカの前線になっている。
同じような構図が、欧州ではウクライナとかベラルーシにあり、ウクライナのチューリップ革命は特にアメリカの関与が取りざたされている。これらの色の革命の後に、欧州のロシア以外同盟であるEUは拡大を続け、周辺の経済的にドイツの足を引っ張る国々の為替引き下げ工作で安いユーロでドイツが一人儲け、ダメなEUに金を分配するシステムになっている。
昔は東欧というのは鉄のカーテンと言われていたものだけれど、こういう顛末を以って今の所ロシアを除け者にして抑え込んでいる。
アメリカと北朝鮮の会談というと、同じような構図であり、ここで、北朝鮮がアメリカ側に転ぶと、中国、ロシア対アメリカの前線が38線から一気に中国と北朝鮮の国境である鴨緑江とかまで押し上げられる。その目と鼻の先には大連があり、旧満州がある。
昔の北方異民族はみんな満州を足がかりにして北京を経て中国を手中に収めたわけで、北朝鮮がアメリカ側に転べばもう中国の喉元に包丁を突き立てているようなものである。ことここまで話が進んでいるのであれば、多分そのうち10年前に東欧で起きたような事件がまた東アジアでも発生して、またなんとか革命と呼ばれることになるのだろうと思っている。
一族の繋がりと現代の超克
人生のある時期メンタルの病にかかっていて、何を思ったかキリスト教のプロテスタントの教会に通っていた。結局はキリスト教の洗礼は受けなかった。キリスト教の教会なのに社会運動とか、平和活動に熱心な人が多くて辟易したこととか、神の救いがあるとかいうのはまあなんとなくわかるのだけれど、信じれば救われるって、信じてないうちの父とか母とか祖父とか祖母は救われないのかとか、やっぱりお葬式はお焼香をあげるものだし、お墓まいりもお線香をあげるものだし、何かあれば神社にお参りに行くものだという日本人としての頑迷な宗教から脱却することができなかった。そしてその教会にはそれは年の近い綺麗な女性とかいて、その人は洗礼を受けたのだけど、それに感化されることはなかった。なぜあの女性が洗礼を受けようとしたのか今となっては少し気になる。何か思うところがあったのだろうか。何を思ってキリスト教徒になろうとするのか?それはそれとして、その女性はそれは綺麗な人だったし、色んな人と仲良くなれる能力を持ってた人なので、私とも仲良くしようとしてくれて、でも、こんな俺とも積極的に仲良くしようとしたり、しかも露悪的な話をするような奴はきっと俺と違ってなんでも持ってやがる性格の良すぎる気持ち悪いリア充だなと思って結局自分から話をすることはなかった。それはそれでどうかと思うが、それはまた別の話。
そしていくら神に語りかけても神様は僕を救ってくれることはなくて、なんか遠藤周作の小説のようでもあるし、ヨブ記のようでもあるような結末だったけど、結局は教会に行かなくなったきっかけはまた別のところにあり、その頃SSRIをかじるように飲んでたので、変にテンションが高くて、土曜の夜中に毎週の用事を入れるようになったから日曜の朝に起きれなくなったことだった。他にも眠剤がどんどん強くなっていってベゲBを日に2錠飲み始めて本格的に日曜日の朝に起きられなくなった。
そんな中で、いくらお祈りしようが何しようが何も心に響くものがなく、人間が水の上に浮くわけないし、死んだ人間が生き返るわけないし、新約聖書の各福音書なんて呼んでもなんでイエスが死後多くの人の支持を受けるようになったのかさっぱりわからないし、黙示録なんていうのはもはや聖書の内容を適当にかいつまんだ厨二の酔っ払いの書いた便所の落書きのようにしか見えなかった。
こうしてキリスト教のことをボロカスに言っていますが、別にキリスト教が嫌いなわけではなくて、単純に体に合わなかったというだけの話なんだと思います。うん。そうなんだ。
それはそれとして、何十回も言って聞いた牧師の説教の中で一つだけ印象に残ったことがあって、それは今生きる我々は聖書が書かれた人類の誕生以来からずっと信仰の輪を繋ぎ続ける存在なのであるというようなものだったと思う。日本のキリスト教の教会の見解なのか、その牧師の個人的な見解なのかはよくわからないけど、自分みたいな教会に対する貢献のない人間もそういう輪に参加しているのかどうなのかとか、不思議に思ったものだった。似たような話に人間は遺伝子を繋ぐ器であるような話があって、それを思い出したけど、別にその当時は結婚する気もなければ子供が自分のところに生まれるとも思ってもいなかったし、まあ関係のないことだくらいに思っていた。
NHKにファミリーヒストリーという番組があって、あれが割と好きだったりする。
あそこまで先祖を遡って取材する調査能力もすごいし、テレビで見る芸能人の親が思わぬ過去を持ってたり、こんなこと子供に言ってなかったのかよみたいなことを親が言ってなくて、割と多くの人が親に聞いたことなかったです、この番組で初めて知りましたみたいなことを言ってて、親というのはしょうもないもんだなと思ったり、言いたくなかったことだったのかなとか思ったりする。
なんでもかんでも言えばいいかというと、やっぱり言いたくないこともあるし、自分にとってはインパクトが大きいことで、当たり前のことだけど、子供には言い忘れていることもあるだろうし、こうして手のひらから砂がこぼれ落ちるように一族の記憶が抜け落ちていくものなのだなあと思った。
それに何よりもやっぱり家族の物語というのは面白いもので、どの家にもそれなりの物語と、当事者たちの決断と、必死に子供を守ろうとした挙句の今があり、こうして人間というのは生きているのだなあと思う。人生というのは面白いものだと思う。
そして、このエンディングのくるりのRemember meがいい。
最初はくるりだとわからなかったけど、歳をとったものだと思う。
歌詞をよく聞くと自分が子供の頃の情景が思い浮かんだりして、歳をとると涙もろくなるものだと思う。父親に男は泣くものではないと言われて、その通りに、子供にも男は泣くものではないと言ってきたのに肝心の自分が割と簡単に涙腺が緩む。ファミリーヒストリーのエンディングでRemember meを見るだけで涙腺が緩むし、寝入り端に子供の寝顔を見てるだけで泣きそうになる。親父にタコ殴りにされる勢いである。
こうして子供と親とに挟まれたときに、自分がなんなのか懊悩するときもあれば、自分などはただの遺伝子の器で、この子を立派に育て上げて社会に送り出せばいいのだと思うときもある。答えは見つからないし、人間というのは割と揺らぐ生き物であるとも思う。
では自分から彼に何を引き継いでいくのだろうかとも思う。
これまでにも何度かこのブログでも書いたかもしれない。
自分がしてきた勉強を彼らに託すのだろうか?
そんなくだらない、面白くない人間になって欲しいとも思わないけど、自分は自分の知ってることでしか語りかけれることができない。だから子供たちに勉強をさせて遠くに行く力を身につけさせるわけだけれど、ではその勉強と言って何をさせるのだろうか。
昭和の時代にはいわゆる昭和の文化人なんていうのがいて、横溝正史とかが典型なのだろうけど、クラッシック音楽を嗜んだり、もっと古くは山本有三の路傍の石とか、最近話題の君たちはどう生きるかとか、二十四の瞳とかいうような文脈のものはもう我々が親となった今の時代にはどうも古ぼけて少し丈が合わないように感じる。
思えばそういうものは明治以降日本に入ってきた西洋的な文化、価値観から導き出されてきた中流階級の嗜みとしての教養であって、そんな人道主義的で啓蒙主義的な言説はもう今みたいに階級も極端になくなってしまい、知識人というのが権威を失った今となってはものすごく陳腐なものであるように見える。まあ君たちはどう生きるかは受けてるみたいですがね。ああいう説教臭い話なんていうのは昭和の時代に捨ててきたものだのだと思っている。
それと同じように、最近はクラシックなんて有り難がって聞かれなくなって、西洋の昔の音楽に権威を感じていたものやはり昭和の時代までであり、今となっては何が教養として聞くべき音楽なのかというのはよくわからないようになっている。でも少なくともそれは雅楽とかではないし、やはりクラッシック音楽でもないような気がする。
ただこれはこれでちょっと痛快に思ってるところもあって、子供の頃はなんで西洋の特に文化的な繋がりもない連中の音楽を有り難がって音楽の時間に勉強しなければいかないのかがよくわからなかった。今というのはもうそういうよくわからない見栄えでやってるようなものを軽やかに無視して切り捨てることができるようないい時代になったんだと思う。昔はクラシックなんて一応有り難がらなければいけないように感じてたけど、今はもう敬して遠ざけておけばいいような存在になっていて、日本もある意味で現代を超克したのだなあと思っている。
はあちゅうさんと岸勇希さん
はあちゅうさんっていうと10年くらい前からずっとウォチの対象として有名でして、おはら汁とかでいじられてた記憶がある。ここ最近の騒ぎを見るとあの頃を思い出しますね。個人サイト、テキストサイトの終焉とブログの黎明期の喧騒の中での出来事だったと思い出されます。
久しぶりにはあちゅうさんが炎上するのを見て感じたことなどを書いてみます。オチはないですし、特にはあちゅうが好きだとか嫌いだとかいうこともないです。
はあちゅうさんがセクハラされたとかは、それは大変でしたねと同情するし、はあちゅうさんが童貞いじりをしたとかはそれはそれでヒドいですねって思うわけですが、それとして、この人は猛烈に文章を書くのが下手糞で、それはそれはこの人なんで慶應大学に入れたんだろうと思うくらいなんですよね。しかも文系学部なんでしょ?
このことについては、私の認識不足も
あったと思っていますので
こちらの記事にて謝罪させていただきます。(中略)
童貞というデリケートな言葉を軽々しく使ったことで
傷つけてしまった方に深くお詫びするとともに今後は個々人が持つ言葉のニュアンスの違いに気を付けて発言するよう、
意識を引き締めていきたいと思います。
なんか物凄く目が滑って読んでて何いってるかよくわからないです。あとは随所に揚げ足を取られるような書き方が見られて、本当に脇が甘いなと、謝りの経験値低いなと思うのです。
これでそこそこの大学でて、有名な会社で仕事して、その後フリーで働いてるという経歴らしいんですが、それまでの過程で必要であった会社勤めする人として当然の文書作成能力とか身につけられなかったのでしょうかね。それともそれを仕込む人がいなかった、つまり指導者に恵まれなかったんですかね。
それはそれとして、記事にリンク直接貼るとはあちゅうさんのホームページとかブログのアクセス数が上がっちゃうから魚拓にリンク貼ろうぜ。
まあそういう下品な話はいいとして、はあちゅうさんがこういうトンチンカンなことしてると結局一番の獲物がトカゲの尻尾を切ってどこかに逃げてしまうわけですよ。結局インターネッツの中の正義感に溢れる人たちの本当の獲物ははあちゅうじゃなくて、岸勇希さんなんじゃないですか?違うんですかね?本当にこの騒ぎで岸勇希は追い込めたんですかね?なんかはあちゅうさんが巨大な壁になってもはや岸勇希さんの方には注目がいってないんじゃないでしょうか?
はあちゅうさんは師匠のピンチに自ら壁になって立ちはだかってイナゴの大群を食い止めるなんて本当に師匠思いのいい弟子だと思います。僕もこういう部下とか、後輩とか欲しいです。散々disってこき使って、セクハラして、女紹介させてとかしても自分のピンチのときにはその部下が壮大に墓穴を掘って自分はあまり風当たり強くないみたいなの。
まあね、今の時代ああまでわかりやすい逃げ方を打つ人って珍しいですよね。
炎上に対する対応方法は昔から数ヶ月静かにしていることか、適当な代理店にわざと炎上案件に油を注ぎながら巧妙に他の方向に誘導するものと相場が決まってるんですが、今回は有能な元部下のおかげでfree of charge目を自分からそらすのに成功したのではないでしょうか。それともはあちゅうに金払ったのかな。知らないけど。
まあそもそも岸勇希さんみたいな上流階級の方が我々みたいなゴミの目の届くところに降臨されるわけもないので、別にはあちゅうが砕氷船とか、壁になる必要もなくて、あの中身のない反省しているというポーズの社長やめましたの連絡を出しておけば治ったんですよね。敵ながら天晴れならぬ、味方ながらバカなんですよね。作家なのにな。
あとみなさん割と言及してないけど、岸勇希さんの刻キタルという会社の代表取締役辞任についてのお知らせがビジネス上の文書の体をなしてなくて凄いです。これ、学卒1年目のガキが出してくる下書きレベルじゃねーの?あの業界の人たちってみんなこういうノリで仕事してるわけですか?それとも岸勇希さんだけ飛び抜けて脇が甘いんですかね?
ざっと見ただけで、
- 文書の発行日時が書いていない。
- 誰が発行した文書か書いていない。
- あれば文書番号を書くけど、当然そんなものはない。
- あれば書くものだけど、宛先が書いてない。
- 取締役を辞任したいという申し出を誰が受けて、誰が受理したか書いてない。
- 辞任する職に代表取締役が書いてありながら、合わせて取締役も辞任しますと書いてある。結局何を辞めるの?
という感じの面白い文章になってて、よっぽど慌ててたのか、よっぽど非常識だったのか、なんか見ていてとても面白かったです。
日本人とマネジメント
以前書いたこの記事の続き。
とりあえず箇条書きの殴り書きにする。
- 日本人は技術的に独創性がないというのは昔言われていた話だけど、必ずしもそうとは思わない。むしろ独創的なアイディアを持ってる人はたくさんいて、それを管理して、育てる良きPMがいないから死の谷を乗り越えられない。
- アイディアマンは実はたくさんいる。
- 日本人の個人個人はとても優秀であり、色んなことを一人でできてしまう。
- 日本人は仕事が好きであると思われているが、実は仕事を仕事と思っていない節がある。
- 日本人はドキュメンテーションが苦手で、体系だった知識を構築することがない。
- マネジメントの不在なんていうのは昔から言われていたことで、日本の経営者と、アジアの経営者を比べても経営者としての手腕は韓国とか、中国とか、台湾の経営者の方が断然上。自分で先頭に立ってリーダーシップをとる姿はまさに圧巻で、これは欧州とか、アメリカのリーダーにも言える。多分、経営者としての教育を受けたかどうかによるところが大きい。
- 日本人はチームワークが得意というけれど、実は決してそんなことはない。スタンドプレーヤーの集合体が実は日本の組織である。究極のスタンドプレーの集合がうまく噛み合ったときにチームワークが発揮される。日本人の伝統競技には団体で争うものがなく、いつも剣道とか、柔道とか、自分と向き合ってきた。
- 知識体系の構築というのは実は欧米の人の方が多分得意。日本人の作ったマニュアルと、欧米のマニュアルでは厚さが倍以上違う。
- 日本人が組織だった動きが苦手というのであれば、これまでの歴代の政権を運営してきた歴史上の支配者たちはどうなんだと言われるとそこはまた考えないといけないところ。
フィリピンのミンダナオ島のISこと その2
先日、こんなタイトルの日記を書いて、こういう人しれないところで書いているブログが読まれることなんて考えてなかったのだけれど、それなりにアクセスがあってビビった。
フィリピン人というと、知り合いもそれなりにいるし、これまで度々仕事で訪れていてそれなりに親近感があってきになるので、その後、実際にフィリピン人の知り合いのうち、ミンダナオ出身の人達に近況を聞いてみた。3人知り合いがいて、ブチュアンとダバオ出身の人達。
ちなみに、ブチュアンもダバオもミンダナオの東部で、キリスト教徒のフィリピン人の支配する地域であり、上記の3人はみんな民族意識的にはみんなコテコテのフィリピン人であり、フィリピンに対する領土的野心を隠そうともしない中国とインドネシアが大嫌いであり、自国に向けてミサイルを飛ばす可能性のある北朝鮮に対しては非常に批判的であり、アメリカと日本を同盟国と考える典型的なフィリピンの保守層である。
1人目:ブチュアン在住の45歳のインテリおじさん
大体のフィリピン人は英語ができるけど、関係代名詞を使って会話をすると段々理解ができなくなることがあるけど、このおじさんは綺麗な英語で喋る。当然関係代名詞を使って会話しても支障ない。
色々と勉強してて、仕事上は管理職であり、とても権威的に部下に接する傾向があるけど、仕事を離れると呑気で気のいい典型的なミンダナオのおじさんである。ただ、当然高学歴で教養もあるから、ニュースや世界情勢に詳しく、どうやらミンダナオもイスラム系の勢力に侵食されつつあり、もはやブチュアンも安全とは言い切れなくなるかもしれないと言っていた。
以前は、ミンダナオからブチュアンの間は山賊が出るとかどうとか言われていたけど、なんだかんだ街に入れば安全であり、マニラに比べればミンダナオの治安が悪とはいえ、ブチュアンは安全と言われていた。現時点でも、そもそもブチュアンはマラウィから車で10時間かかるからそれほど危なくないと思うと言っていた。
ただ政治的な事情がここ最近変わってきて、もうそろそろそれも終わるかもしれないと思ってるらしい。具体的には大統領が変わったこととか。
2人目:ブチュアン在住の37歳の気のいいおじさん
こいつは典型的な呑気で気のいいミンダナオのおじさんで、ブチュアンは全然安全問題ない。大体マラウィなんて車で10時間もかかるし、全然問題ないという認識。ただ、こいつは現状認識が極めて甘い奴なのでちょっと言ってることがあてになるか不明。
3人目:セブ出身 ダバオ在住の42歳のインテリおじさん
中間管理職的な職位のおじさんで、この人もとても流暢な英語を喋るし、いろんなことよく知ってる。物静かな雰囲気で、ミンダナオ出身っぽくないなって思ってたら、よくよく話聞いたらセブ出身だった。風貌はミンダナオの人っぽい感じはしたが、外れた。この人もダバオからマラウィは車で丸1日以上かかるから全然安全。ただ、マラウィがあんななったのはショッキングで早く解決してほしいと言っていた。
わかったこと
結局彼らとのやりとりでわかったことというと、どうもフィリピンの保守層というのはどうもミンダナオのイスラム勢力なんていうのは昔からそこにいて小競り合いしているもので、今更ISが来ようが何だろうが、その大勢に影響はなさそうと思ってるらしいことである。どうも日本人とビジネスの場でやりとりするミンダナオの人というのは政権よりのコテコテの保守層が多くなるので、彼らからの視点に物凄く自分がバイアスがかかってるのはわかるといえばわかる。かといって、ミンダナオのイスラム勢力とのパイプなんてただのサラリーマンには得ようもないので、それはそれで仕方がない。
それはそれとして、現状の勢力図からこれから何か変更があるかというと、実際にISがダバオまで来ようとするとそれなりの人数をかけて、補給しながら進まねばならず、さらに現地の山賊と言われる勢力との兼ね合いもあり、歴史的な勢力図はそうそう塗り変わらないと考えている節がある。ただ、それは指導的な層がそう考えているかというと、必ずしもそうではなさそう。というのがミンダナオの人たちの少ないサンプルから得られた結果。
彼らが平和なうちに暮らせることを願いつつ。
それはまた別の話として、フィリピンは島国なので、たくさん空港があるのだけど、ミンダナオの西部のザンボアンガなんていうところはもろにインドネシアの領土的野心の標的になっているようなところだけど、フィリピン航空がフライトを運行していて、政権側のフィリピン航空がそんなところで商売やってけてるんだろうかと訝しいけど、ただあの国はチャランポランでもなんとなく仕事が回るイメージなので、それはそれでなんとかやってるのかもしれない。