一族の繋がりと現代の超克

 人生のある時期メンタルの病にかかっていて、何を思ったかキリスト教プロテスタントの教会に通っていた。結局はキリスト教の洗礼は受けなかった。キリスト教の教会なのに社会運動とか、平和活動に熱心な人が多くて辟易したこととか、神の救いがあるとかいうのはまあなんとなくわかるのだけれど、信じれば救われるって、信じてないうちの父とか母とか祖父とか祖母は救われないのかとか、やっぱりお葬式はお焼香をあげるものだし、お墓まいりもお線香をあげるものだし、何かあれば神社にお参りに行くものだという日本人としての頑迷な宗教から脱却することができなかった。そしてその教会にはそれは年の近い綺麗な女性とかいて、その人は洗礼を受けたのだけど、それに感化されることはなかった。なぜあの女性が洗礼を受けようとしたのか今となっては少し気になる。何か思うところがあったのだろうか。何を思ってキリスト教徒になろうとするのか?それはそれとして、その女性はそれは綺麗な人だったし、色んな人と仲良くなれる能力を持ってた人なので、私とも仲良くしようとしてくれて、でも、こんな俺とも積極的に仲良くしようとしたり、しかも露悪的な話をするような奴はきっと俺と違ってなんでも持ってやがる性格の良すぎる気持ち悪いリア充だなと思って結局自分から話をすることはなかった。それはそれでどうかと思うが、それはまた別の話。

 そしていくら神に語りかけても神様は僕を救ってくれることはなくて、なんか遠藤周作の小説のようでもあるし、ヨブ記のようでもあるような結末だったけど、結局は教会に行かなくなったきっかけはまた別のところにあり、その頃SSRIをかじるように飲んでたので、変にテンションが高くて、土曜の夜中に毎週の用事を入れるようになったから日曜の朝に起きれなくなったことだった。他にも眠剤がどんどん強くなっていってベゲBを日に2錠飲み始めて本格的に日曜日の朝に起きられなくなった。

 そんな中で、いくらお祈りしようが何しようが何も心に響くものがなく、人間が水の上に浮くわけないし、死んだ人間が生き返るわけないし、新約聖書の各福音書なんて呼んでもなんでイエスが死後多くの人の支持を受けるようになったのかさっぱりわからないし、黙示録なんていうのはもはや聖書の内容を適当にかいつまんだ厨二の酔っ払いの書いた便所の落書きのようにしか見えなかった。

 こうしてキリスト教のことをボロカスに言っていますが、別にキリスト教が嫌いなわけではなくて、単純に体に合わなかったというだけの話なんだと思います。うん。そうなんだ。

 それはそれとして、何十回も言って聞いた牧師の説教の中で一つだけ印象に残ったことがあって、それは今生きる我々は聖書が書かれた人類の誕生以来からずっと信仰の輪を繋ぎ続ける存在なのであるというようなものだったと思う。日本のキリスト教の教会の見解なのか、その牧師の個人的な見解なのかはよくわからないけど、自分みたいな教会に対する貢献のない人間もそういう輪に参加しているのかどうなのかとか、不思議に思ったものだった。似たような話に人間は遺伝子を繋ぐ器であるような話があって、それを思い出したけど、別にその当時は結婚する気もなければ子供が自分のところに生まれるとも思ってもいなかったし、まあ関係のないことだくらいに思っていた。

 

 NHKファミリーヒストリーという番組があって、あれが割と好きだったりする。

 あそこまで先祖を遡って取材する調査能力もすごいし、テレビで見る芸能人の親が思わぬ過去を持ってたり、こんなこと子供に言ってなかったのかよみたいなことを親が言ってなくて、割と多くの人が親に聞いたことなかったです、この番組で初めて知りましたみたいなことを言ってて、親というのはしょうもないもんだなと思ったり、言いたくなかったことだったのかなとか思ったりする。

 なんでもかんでも言えばいいかというと、やっぱり言いたくないこともあるし、自分にとってはインパクトが大きいことで、当たり前のことだけど、子供には言い忘れていることもあるだろうし、こうして手のひらから砂がこぼれ落ちるように一族の記憶が抜け落ちていくものなのだなあと思った。

 それに何よりもやっぱり家族の物語というのは面白いもので、どの家にもそれなりの物語と、当事者たちの決断と、必死に子供を守ろうとした挙句の今があり、こうして人間というのは生きているのだなあと思う。人生というのは面白いものだと思う。

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 そして、このエンディングのくるりのRemember meがいい。

 最初はくるりだとわからなかったけど、歳をとったものだと思う。

 歌詞をよく聞くと自分が子供の頃の情景が思い浮かんだりして、歳をとると涙もろくなるものだと思う。父親に男は泣くものではないと言われて、その通りに、子供にも男は泣くものではないと言ってきたのに肝心の自分が割と簡単に涙腺が緩む。ファミリーヒストリーのエンディングでRemember meを見るだけで涙腺が緩むし、寝入り端に子供の寝顔を見てるだけで泣きそうになる。親父にタコ殴りにされる勢いである。

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 こうして子供と親とに挟まれたときに、自分がなんなのか懊悩するときもあれば、自分などはただの遺伝子の器で、この子を立派に育て上げて社会に送り出せばいいのだと思うときもある。答えは見つからないし、人間というのは割と揺らぐ生き物であるとも思う。

 では自分から彼に何を引き継いでいくのだろうかとも思う。

 これまでにも何度かこのブログでも書いたかもしれない。

 自分がしてきた勉強を彼らに託すのだろうか?

 そんなくだらない、面白くない人間になって欲しいとも思わないけど、自分は自分の知ってることでしか語りかけれることができない。だから子供たちに勉強をさせて遠くに行く力を身につけさせるわけだけれど、ではその勉強と言って何をさせるのだろうか。

 昭和の時代にはいわゆる昭和の文化人なんていうのがいて、横溝正史とかが典型なのだろうけど、クラッシック音楽を嗜んだり、もっと古くは山本有三路傍の石とか、最近話題の君たちはどう生きるかとか、二十四の瞳とかいうような文脈のものはもう我々が親となった今の時代にはどうも古ぼけて少し丈が合わないように感じる。

 思えばそういうものは明治以降日本に入ってきた西洋的な文化、価値観から導き出されてきた中流階級の嗜みとしての教養であって、そんな人道主義的で啓蒙主義的な言説はもう今みたいに階級も極端になくなってしまい、知識人というのが権威を失った今となってはものすごく陳腐なものであるように見える。まあ君たちはどう生きるかは受けてるみたいですがね。ああいう説教臭い話なんていうのは昭和の時代に捨ててきたものだのだと思っている。

 それと同じように、最近はクラシックなんて有り難がって聞かれなくなって、西洋の昔の音楽に権威を感じていたものやはり昭和の時代までであり、今となっては何が教養として聞くべき音楽なのかというのはよくわからないようになっている。でも少なくともそれは雅楽とかではないし、やはりクラッシック音楽でもないような気がする。

 ただこれはこれでちょっと痛快に思ってるところもあって、子供の頃はなんで西洋の特に文化的な繋がりもない連中の音楽を有り難がって音楽の時間に勉強しなければいかないのかがよくわからなかった。今というのはもうそういうよくわからない見栄えでやってるようなものを軽やかに無視して切り捨てることができるようないい時代になったんだと思う。昔はクラシックなんて一応有り難がらなければいけないように感じてたけど、今はもう敬して遠ざけておけばいいような存在になっていて、日本もある意味で現代を超克したのだなあと思っている。

はあちゅうさんと岸勇希さん

 はあちゅうさんっていうと10年くらい前からずっとウォチの対象として有名でして、おはら汁とかでいじられてた記憶がある。ここ最近の騒ぎを見るとあの頃を思い出しますね。個人サイト、テキストサイトの終焉とブログの黎明期の喧騒の中での出来事だったと思い出されます。

 久しぶりにはあちゅうさんが炎上するのを見て感じたことなどを書いてみます。オチはないですし、特にはあちゅうが好きだとか嫌いだとかいうこともないです。

 

 はあちゅうさんがセクハラされたとかは、それは大変でしたねと同情するし、はあちゅうさんが童貞いじりをしたとかはそれはそれでヒドいですねって思うわけですが、それとして、この人は猛烈に文章を書くのが下手糞で、それはそれはこの人なんで慶應大学に入れたんだろうと思うくらいなんですよね。しかも文系学部なんでしょ?

 このことについては、私の認識不足も
あったと思っていますので
こちらの記事にて謝罪させていただきます。

(中略)

童貞というデリケートな言葉を軽々しく使ったことで
傷つけてしまった方に深くお詫びするとともに
今後は個々人が持つ言葉のニュアンスの違いに気を付けて発言するよう、
意識を引き締めていきたいと思います。

 なんか物凄く目が滑って読んでて何いってるかよくわからないです。あとは随所に揚げ足を取られるような書き方が見られて、本当に脇が甘いなと、謝りの経験値低いなと思うのです。

 これでそこそこの大学でて、有名な会社で仕事して、その後フリーで働いてるという経歴らしいんですが、それまでの過程で必要であった会社勤めする人として当然の文書作成能力とか身につけられなかったのでしょうかね。それともそれを仕込む人がいなかった、つまり指導者に恵まれなかったんですかね。

 

 それはそれとして、記事にリンク直接貼るとはあちゅうさんのホームページとかブログのアクセス数が上がっちゃうから魚拓にリンク貼ろうぜ。

 

 まあそういう下品な話はいいとして、はあちゅうさんがこういうトンチンカンなことしてると結局一番の獲物がトカゲの尻尾を切ってどこかに逃げてしまうわけですよ。結局インターネッツの中の正義感に溢れる人たちの本当の獲物ははあちゅうじゃなくて、岸勇希さんなんじゃないですか?違うんですかね?本当にこの騒ぎで岸勇希は追い込めたんですかね?なんかはあちゅうさんが巨大な壁になってもはや岸勇希さんの方には注目がいってないんじゃないでしょうか?

 はあちゅうさんは師匠のピンチに自ら壁になって立ちはだかってイナゴの大群を食い止めるなんて本当に師匠思いのいい弟子だと思います。僕もこういう部下とか、後輩とか欲しいです。散々disってこき使って、セクハラして、女紹介させてとかしても自分のピンチのときにはその部下が壮大に墓穴を掘って自分はあまり風当たり強くないみたいなの。

 まあね、今の時代ああまでわかりやすい逃げ方を打つ人って珍しいですよね。

 炎上に対する対応方法は昔から数ヶ月静かにしていることか、適当な代理店にわざと炎上案件に油を注ぎながら巧妙に他の方向に誘導するものと相場が決まってるんですが、今回は有能な元部下のおかげでfree of charge目を自分からそらすのに成功したのではないでしょうか。それともはあちゅうに金払ったのかな。知らないけど。

 まあそもそも岸勇希さんみたいな上流階級の方が我々みたいなゴミの目の届くところに降臨されるわけもないので、別にはあちゅう砕氷船とか、壁になる必要もなくて、あの中身のない反省しているというポーズの社長やめましたの連絡を出しておけば治ったんですよね。敵ながら天晴れならぬ、味方ながらバカなんですよね。作家なのにな。

 

 あとみなさん割と言及してないけど、岸勇希さんの刻キタルという会社の代表取締役辞任についてのお知らせがビジネス上の文書の体をなしてなくて凄いです。これ、学卒1年目のガキが出してくる下書きレベルじゃねーの?あの業界の人たちってみんなこういうノリで仕事してるわけですか?それとも岸勇希さんだけ飛び抜けて脇が甘いんですかね?

 ざっと見ただけで、

  • 文書の発行日時が書いていない。
  • 誰が発行した文書か書いていない。
  • あれば文書番号を書くけど、当然そんなものはない。
  • あれば書くものだけど、宛先が書いてない。
  • 取締役を辞任したいという申し出を誰が受けて、誰が受理したか書いてない。
  • 辞任する職に代表取締役が書いてありながら、合わせて取締役も辞任しますと書いてある。結局何を辞めるの?

という感じの面白い文章になってて、よっぽど慌ててたのか、よっぽど非常識だったのか、なんか見ていてとても面白かったです。

日本人とマネジメント

 以前書いたこの記事の続き。

 とりあえず箇条書きの殴り書きにする。

 

sigma-lambda.hatenablog.jp

 

  • 日本人は技術的に独創性がないというのは昔言われていた話だけど、必ずしもそうとは思わない。むしろ独創的なアイディアを持ってる人はたくさんいて、それを管理して、育てる良きPMがいないから死の谷を乗り越えられない。
  • アイディアマンは実はたくさんいる。
  • 日本人の個人個人はとても優秀であり、色んなことを一人でできてしまう。
  • 日本人は仕事が好きであると思われているが、実は仕事を仕事と思っていない節がある。
  • 日本人はドキュメンテーションが苦手で、体系だった知識を構築することがない。
  • マネジメントの不在なんていうのは昔から言われていたことで、日本の経営者と、アジアの経営者を比べても経営者としての手腕は韓国とか、中国とか、台湾の経営者の方が断然上。自分で先頭に立ってリーダーシップをとる姿はまさに圧巻で、これは欧州とか、アメリカのリーダーにも言える。多分、経営者としての教育を受けたかどうかによるところが大きい。
  • 日本人はチームワークが得意というけれど、実は決してそんなことはない。スタンドプレーヤーの集合体が実は日本の組織である。究極のスタンドプレーの集合がうまく噛み合ったときにチームワークが発揮される。日本人の伝統競技には団体で争うものがなく、いつも剣道とか、柔道とか、自分と向き合ってきた。
  • 知識体系の構築というのは実は欧米の人の方が多分得意。日本人の作ったマニュアルと、欧米のマニュアルでは厚さが倍以上違う。
  • 日本人が組織だった動きが苦手というのであれば、これまでの歴代の政権を運営してきた歴史上の支配者たちはどうなんだと言われるとそこはまた考えないといけないところ。

フィリピンのミンダナオ島のISこと その2

 先日、こんなタイトルの日記を書いて、こういう人しれないところで書いているブログが読まれることなんて考えてなかったのだけれど、それなりにアクセスがあってビビった。

sigma-lambda.hatenablog.jp

 フィリピン人というと、知り合いもそれなりにいるし、これまで度々仕事で訪れていてそれなりに親近感があってきになるので、その後、実際にフィリピン人の知り合いのうち、ミンダナオ出身の人達に近況を聞いてみた。3人知り合いがいて、ブチュアンとダバオ出身の人達。

 ちなみに、ブチュアンもダバオもミンダナオの東部で、キリスト教徒のフィリピン人の支配する地域であり、上記の3人はみんな民族意識的にはみんなコテコテのフィリピン人であり、フィリピンに対する領土的野心を隠そうともしない中国とインドネシアが大嫌いであり、自国に向けてミサイルを飛ばす可能性のある北朝鮮に対しては非常に批判的であり、アメリカと日本を同盟国と考える典型的なフィリピンの保守層である。

 

1人目:ブチュアン在住の45歳のインテリおじさん

 大体のフィリピン人は英語ができるけど、関係代名詞を使って会話をすると段々理解ができなくなることがあるけど、このおじさんは綺麗な英語で喋る。当然関係代名詞を使って会話しても支障ない。

 色々と勉強してて、仕事上は管理職であり、とても権威的に部下に接する傾向があるけど、仕事を離れると呑気で気のいい典型的なミンダナオのおじさんである。ただ、当然高学歴で教養もあるから、ニュースや世界情勢に詳しく、どうやらミンダナオもイスラム系の勢力に侵食されつつあり、もはやブチュアンも安全とは言い切れなくなるかもしれないと言っていた。

 以前は、ミンダナオからブチュアンの間は山賊が出るとかどうとか言われていたけど、なんだかんだ街に入れば安全であり、マニラに比べればミンダナオの治安が悪とはいえ、ブチュアンは安全と言われていた。現時点でも、そもそもブチュアンはマラウィから車で10時間かかるからそれほど危なくないと思うと言っていた。

 ただ政治的な事情がここ最近変わってきて、もうそろそろそれも終わるかもしれないと思ってるらしい。具体的には大統領が変わったこととか。

 

2人目:ブチュアン在住の37歳の気のいいおじさん

 こいつは典型的な呑気で気のいいミンダナオのおじさんで、ブチュアンは全然安全問題ない。大体マラウィなんて車で10時間もかかるし、全然問題ないという認識。ただ、こいつは現状認識が極めて甘い奴なのでちょっと言ってることがあてになるか不明。

 

3人目:セブ出身 ダバオ在住の42歳のインテリおじさん

 中間管理職的な職位のおじさんで、この人もとても流暢な英語を喋るし、いろんなことよく知ってる。物静かな雰囲気で、ミンダナオ出身っぽくないなって思ってたら、よくよく話聞いたらセブ出身だった。風貌はミンダナオの人っぽい感じはしたが、外れた。この人もダバオからマラウィは車で丸1日以上かかるから全然安全。ただ、マラウィがあんななったのはショッキングで早く解決してほしいと言っていた。

 

わかったこと

 結局彼らとのやりとりでわかったことというと、どうもフィリピンの保守層というのはどうもミンダナオのイスラム勢力なんていうのは昔からそこにいて小競り合いしているもので、今更ISが来ようが何だろうが、その大勢に影響はなさそうと思ってるらしいことである。どうも日本人とビジネスの場でやりとりするミンダナオの人というのは政権よりのコテコテの保守層が多くなるので、彼らからの視点に物凄く自分がバイアスがかかってるのはわかるといえばわかる。かといって、ミンダナオのイスラム勢力とのパイプなんてただのサラリーマンには得ようもないので、それはそれで仕方がない。

 それはそれとして、現状の勢力図からこれから何か変更があるかというと、実際にISがダバオまで来ようとするとそれなりの人数をかけて、補給しながら進まねばならず、さらに現地の山賊と言われる勢力との兼ね合いもあり、歴史的な勢力図はそうそう塗り変わらないと考えている節がある。ただ、それは指導的な層がそう考えているかというと、必ずしもそうではなさそう。というのがミンダナオの人たちの少ないサンプルから得られた結果。

 彼らが平和なうちに暮らせることを願いつつ。

 

 それはまた別の話として、フィリピンは島国なので、たくさん空港があるのだけど、ミンダナオの西部のザンボアンガなんていうところはもろにインドネシアの領土的野心の標的になっているようなところだけど、フィリピン航空がフライトを運行していて、政権側のフィリピン航空がそんなところで商売やってけてるんだろうかと訝しいけど、ただあの国はチャランポランでもなんとなく仕事が回るイメージなので、それはそれでなんとかやってるのかもしれない。

5年前に買ったMacBookProのOSを入れ直して環境を整備し直す日記その6

 TeXを入れたので、yaTeXを入れた。YaTeXWiki通りにやったら普通にできた。

YaTeX - TeX Wiki

  そういえば、最近はjarticleが古風なものになってるらしく、jsarticleとかujarticleにしないといけないみたい。というのがやはり奥村先生のホームページに載っていた。

 

oku.edu.mie-u.ac.jp

 

 

個人的な少し昔のことなど

 昔、くるりのばらの花をよく聞いていた。

 我々の世代の中でも私のようなもやもやしたうだつの上がらない大学生にとってはある種のバイブルのようなものであった。安心な僕らは旅に出ようぜとか、ジンジャーエール買って飲んでみたこんな味だったけかとか、踏み込めないまま朝を迎えたとか、曖昧な男女の関係と思われるものを歌っていて、あの時代の空気とか、もやもやした甘ったるさとかが自分のことを言ってるかのように感じていた。

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 くるりといえば、カレーの歌はシングルになっていなかったけど、ばらの花と同じように曖昧な雰囲気がたまらなかった。もうああいう甘ったれた雰囲気に身を任せる心の余裕はないし、もう別にその必要もない。寂しい気もするけど、あの頃の無知で優柔不断だった自分に戻りたいかというと決してそうは思わない。モラトリアムは人生に一度で十分であり、あそこで見つけた打ち込むべきことはその後も自分の人生の糧となり、柱となり、その道から外れたけど、今も見苦しく取り組み、格闘している。いずれそのうちそこへ戻るときのために。

 なりたかった自分にはなれなくてもまあいいかなとも思うし、なりたい自分になりたいと願う自分もいる。執着。この執着をなくしても、もう手放してもいい頃かとも思うときもある。子供いるし、仕事ではそれなりの立場になっている。なりたい自分ではなかったけど、それなりの人たちから必要とされている人生でもある。ではそれを手放したとして、自分が自分のままでいられるかというと、手放した自分も自分のままでもあると思うし、昔の自分はそんなのは俺じゃないというかもしれない。他の人はもうそういうものは葬り去って生きているようにも思う。ただ自分は昔の自分をどこかでまだ送り出せずにいる。いらないと言って捨てたもののうち、捨てそびれたものに未だに執着している。蓋し好きなことが才能であるというけれど、何が正しいのかよくわからない。

 そしてくるりといえば、あの頃はTHE WORLD IS MINEが白眉であり、新井英樹のザワールドイズマインの連載を毎週ビビりながら読んでいた。あの頃はといえば就職氷河期とは言ったけれど、まだ今ほど悲観的な世相でもなく、0年代とかいう単語も生まれてなくて、1999年に何が起こることもなくなんとなくふわりとしたものだった記憶がある。そしてそこからアメリカの同時多発テロが発生して、第三次世界大戦を予感しつつも急速に世の中が窮屈になっていった。その少し前には小泉改革というのがあって、今の評価は日本の労働市場規制緩和で滅茶苦茶にしたという評価であるけど、郵政民営化をすれば景気も少しは良くなるという期待があったと思う。もっともその期待も、小泉首相靖国神社に参拝して、今までみんな戦後ずっと中国と韓国にやましさを感じつつも、鬱陶しいと思ってた鬱憤を晴らすことで瞬間的に上がった支持率を背景にして期待を持たせていたようにも思う。彼の言動は靖国問題北朝鮮に対する態度からして右翼的に見えることもあったが、今思えば必ずしもそうではなかったのではないかと思う。 

 

 それと少し時を前にして小林よしのりの戦争論が流行った。流行ったというか、流行ったように感じてたのかもしれない。小泉首相靖国神社参拝と相まって、それまでの戦後50年経って戦後の日本の社会が感じてた申し訳なさを見直す機会になり、そこからインターネットの普及に伴い少しずつ朝日新聞を筆頭とした左翼的な言論に疑問を呈する動きが広がってきて、ネット右翼なんていうのが出てくるのもこの頃だった。ただ、この頃はまだブログで個人個人が言いたいことを言うだけで、維新政党・新風とか、チャンネル桜とかいう団体でも活動には至っていなかった。それまでの朝日新聞の言う事には疑問を感じていたけど、中々言い出せなかったことが大っぴらに言われ始めた頃でもある。思えばこの頃にはソ連崩壊からだいぶ時間がたってきて、そういう時代の空気も薄くなってきたのだと思う。

 

 話を戻すと、同時期にはスーパーカーがあって、ミキちゃんは本当にかわいかったし、Strobolightsを聞いたときは衝撃を受けた。自分の記憶によればあれが日本のポップスのメジャーシーンにエレクトロニカ的な要素を持った曲が大々的に出てきた当初の楽曲であり、YUMEGIWA LAST BOYと共に同時代を生きた人間の中ではある種のメルクマールとなっていると思う。

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 その後、スーパーカーが解散して、LAMAを始めて、今はETVでナカコーとフルカワミキの新曲が流れる時代である。これを見て、自分の人生の主役が自分から子供に替わったと思った。そして歳を取ってもミキちゃんは可愛い。

 それはそれとして、ナカコーとフルカワミキの新曲を自分の子供と見ることがとても不思議な感じがした。15年前にスーパーカーの新曲を聞いていたのは自分だし、テレビからよくStrobolightsを流してたのも、友達の家でダラダラとスーパーカーの音楽をかけながら酒を飲みなんでいたのも自分だった。今は子供がテレビの前でナカコーとフルカワミキの新曲のこころねを聞いている、というか、見ている。15年前の自分は自分の子供と一緒にナカコーとフルカワミキの新曲を聴くときが来るとは思わなかった。何となればだらけた大学生には子供を持つ未来も予想できなければ、教育テレビが子供向けの番組をやってる時間に起きていることも予想できなかったし、今日みたいにイクメンなんて言われる時代が来るなんて思ってもいなかった。

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 個人的なことをいうのであればそうこうしているうちにうつになって5年ほど地下に潜っていた。そういうことでこの頃はどんな音楽を聴いていたかと言われると、特に何も聴いていない。昔のプログレを聴いてたようにも思うけど、あえて今同時代的なトピックを挙げようとしてる中で特筆するものもないように思う。

 そうなった理由はよくわからないし、理由を過去に求めてもそれは意味のないことだと今は思う。そうしているときに色んな女性に会った。遅めの青春である。うつになるとパキシルという薬を処方されるわけだけど、これが勃ちがすこぶる悪くなるから、誰とやってもずっと女の方がイキっぱなしみたいな事になって、ますますなんだかよくわからない泥沼に嵌っていた。

 そうしている中で、Salyuに出会った。彗星とか、TOWERがこの頃はよくメディアに出てたと思うけど、be thereとか再生が好きだ。特に再生のライブバージョンはヤマグチヒロコのサビとSalyuのコーラスが素晴らしかった。うつのときはこの再生というタイトルがあまり好きではなかったけれど、今となっては色々な意味で再生という事柄があったようにも思う。

 それは妻となる人と出会って自分の人生が再生させられたということもあるし、東日本大震災からの再生でもあるし、子供が生まれたことによる死と再生でもある。

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俺とたばこのこと

 禁煙して随分経つけど、たまに無性にたばこを吸いたくなる。

 お酒を飲んだときであったり、ストレス発散のためだったりする。

 そういうときもあれば、漫画を読んでてたばこを吸うシーンを見ると、ああ美味しそうだなあなんて思う。最近では、「恋は雨上がりのように」の店長がファミレスのバックヤードの窓を開けて一服してるところなんて本当にたばこ吸いたいなあと思うし、恋雨の店長とパトレイバー後藤隊長がなんか似てるところからいうと、最終巻で、事務所の廊下で隊長がたばこに火をつけて考え込んでいて、そのまま結局一服もせず、長くなりすぎた灰が落ちるシーンもまたあの中での印象的なシーンである。

 たばこといえば筑紫哲也さんがよくたばこを吸ってたらしいけど、彼のいうことは逐一気障で気に触るし、大体ああいった左翼っぽい人は好かないのだけど、その発言の中のたばこに関するところだけはああいう立場の人がああいう見識を披露するのはまた時代にそぐわないながらも味のあるものだなあと思ったりした。

百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。たばこの喫煙は人類が発明した偉大な文化で、たばこの代わりはありませんよ。これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね

http://muumoo.jp/log/Tobacco.html

 

 そうして、たばこをやめてしばらく経つけど、たまに一本だけもらったりしてたばこを吸うけど、気持ち悪くなってもう二度と吸いたくないと思って、たばこのおいしさがわからなくなって寂しい気分にもなる。こういう時代にたばこを吸いたいなんていい流儀ではないけれど、たばこを吸う姿というのもまた風情のあるものであるとも思う。